「ゆいの会」の総会で,牧野先生が話をされていました邑久光明園の45体の胎児の遺骨を納めた慰霊碑が,旧火葬場跡の「しのびづか公園」内に建てられました。
1999年9月27日,愛生園と光明園の原告11名により,岡山地裁に,はじめてハンセン病違憲国賠訴訟が提起されました,そして,翌年10月に入った頃,私たち弁護団は,邑久光明園にある「解剖霊安棟」が解体されることを知り,10月30日、裁判所・被告国・原告弁護団が立ち会って,「証拠保全」という手続を行いました。
当日,訪れた解剖霊安室に,10数体のホルマリン漬けの胎児が,無造作に棚に並べられているのをみたときの衝撃はいまでも良く覚えています。そして,そのとき間近で見た胎児は,髪の毛も生えており,穏やかに眠っているようにもみえました。なにかを訴えかけているようにもみえました。
あれから6年6か月が経ちました。
新聞記事によれば,1体は母親の元に返され,3体が遺族に引き取られたとあります。
なぜ,このようなことが行われたのか,今後もしっかりと検証することが求められています。
以下は,山陽新聞の記事です。
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2007/04/21/2007042108511969007.html
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