"新聞記事・テレビ番組"カテゴリーの記事一覧
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1月26日(木)18時15分からのRSK山陽放送のイブニングニュースで,下記の特集番組があります。時間は7~8分とのことです。
昨年12月に,市民グループ「ハンセン病問題を共に考える会・みえ」が主催し,三重県四日市市総合会館(同市諏訪町)で開催した,故島田等さん(国立療養所長島愛生園の入所者で,1995年に,69歳で死去)の著書や詩などを展示した作品展を取材した番組です。
島田等さんは,1926年に,三重県で生まれ,1947年に,三重県から29名の人々と共に,長島愛生園に収容されました。
収容後しばらくは青年舎に生活していましたが,その後,結核を患い,1949年から10年間,結核病棟で過ごしています。
その頃から,詩作を始めるとともに,全国の療養所の詩人によびかけ,「らい詩人集団」を結成し,詩誌を発刊します。
島田等さんは,長島愛生園入所者自治会50年史「隔絶の里程」の編纂に心血を注ぐ一方,「病棄て」「返礼」「次の冬」などを出版されています。
また,島田さんが亡くなった後,島田さんの遺志により,最晩年の詩と評論,書評などを,宇佐美治さんが編集した「花」(手帖社)が,1996年に出版されています。
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国立療養所長島愛生園の入所者であった,故島田等(1995年没,69歳)さんの著書や詩を展示した作品展が,12月24日と25日に,三重県四日市市総合会館(同市諏訪町)で,開催されます。
朝日新聞 「元ハンセン病詩人の魂」
主催は,2009年に発足した市民グループ「ハンセン病問題を共に考える会・みえ」です。
asahi.com:元ハンセン病詩人の魂-マイタウン三重
記者の窓2011.12.19
三重テレビブログ -
大阪弁護士会が,会報の9月号に,ハンセン病を差別的表現である「らい病」と標記した広告を掲載したことは不適切だったとして,10月号で謝罪記事を掲載しました。
問題の広告は,大阪府や兵庫県の弁護士などが中心となった実行委員会が主催した大阪・神戸憲法ミュージカル2011「ドクター・サーブ」の広告で,「らい病治療のためアフガニスタンに赴いた」という表現を用いていました。
憲法ミュージカル「ドクター・サーブ」実行委員会は,当初,「らい病」をハンセン病と置き換えても偏見差別はなくならないとして,あえて,このことばを使用したと説明していたようです。
もちろん,言葉の置き換えで済む単純な問題ではありませんが,だからといって,当事者にとって非常に苦痛であり,長い経緯のなかで「ハンセン病」と呼ぶようになった事情を無視し,あえて差別用語を用いることが,当事者の人権を尊重し,個人の尊厳を守ることになるとは思えません。
その後,この広告の表現について指摘を受け,実行委員会は,この言葉をハンセン病と変えました。
このような広告での表現とは別に,実際に演じられたミュージカルの中での,アフガニスタンのハンセン病患者の人々の描き方も,人間の尊厳をもった人々というよりも,人以下の存在であり,崇高な使命感をもった医師による,救済の対象という印象を強く抱かせる描き方だったということでした。
私も,シナリオを読み,同じような印象を持ちました。その後指摘を受け,一部は修正がなされたとのことです。
大成功であったといわれるこのミュージカルですが,実際にこのミュージカルを観た人たちの中からも,基本的人権と個人の尊厳を守ることをテーマをした憲法ミュージカルにおいて,そうした描き方がなされたことについては疑問が出されていました。
今回の憲法ミュージカルに提起されたこうした声については,法曹の一人として,また一人の人間として,強く心に刻まなければならないと感じました。
読売新聞2011.11.15
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111115-OYO1T00721.htm -
毎日新聞支局長からの手紙-故郷を取り戻す旅
毎日新聞岡山支局長斉藤貞三郎さんが、国立療養所長島愛生園の宇佐美治さんが故郷に戻り、親族と交流深めた旅について、書かれています。
宇佐美さんにとって、これまでとても遠かった故郷が、ここ数年の親族との交流を通じて、身近に感じられる存在となっているようです。
先日のRSK山陽放送、午後6時15分からのイブニングニュースの中でも、宇佐美さんが、今回、故郷に戻ったときの様子が、放映されていましたので、ご覧になった方もおられると思います。
支局長からの手紙 - 毎日jp(毎日新聞)
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国立療養所大島青松園(高松市)の官用船船員の退職に伴い,国があらたなに船員を募集していましたが,9月末までに応募者が現れず,10月末まで延長し,再募集することになりました。
大島青松園の官用船問題については,国が,一時,民間委託の方針を決めていましたが,入所者の反対もあり,自民党の加藤勝信議員の国会質問などもあり,その後,国は民間委託の方針を撤回していました。
募集しているのは,任期原則一年,更新は最長3年間,海技免状(機関5級以上)を持つ3名
問い合わせは,大島青松園庶務課庶務班長(087-087-3131)
2011年10月1日の毎日新聞記事「ハンセン病療養所:船員募集,今月末まで再延長・・「大島青松園」/香川
http://mainichi.jp/area/kagawa/news/20111001ddlk37040696000c.html
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京都新聞に,日本のハンセン病の回復者や支援の方々が,ハワイの「オハナの会」との交流した旨の記事を掲載しています。
Ka' Ohana O'Kalaupapa( オハナの会)http://www.kalaupapaohana.org/については,本ブログでも紹介していますので,ご覧ください。
京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2011/110810.html -
本日付け毎日新聞地域面(岡山)の「支局長からの手紙」で、毎日新聞斉藤貞三郎岡山支局長が、「新人ボランティア」と題した文章を書かれています。
第10回ボランティア養成講座の全講座にかかさず参加していただき、当会のボランティアにも登録していただきました。
今回、当会のボランティアに登録した思いについて、語っておられます。
ぜひ「支局長からの手紙」をご覧ください。
↓
http://mainichi.jp/area/okayama/letter/
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岡山県立図書館(北区丸の内2)のティーンズコーナーで、ハンセン病に関する資料、記録集、小説など約50冊を集めた、展示「学ぼうハンセン病」が開かれています。
7月29日まで開催しています。
毎日新聞
http://mainichi.jp/area/okayama/news/20110621ddlk33040546000c.html -
6月22日、厚生労働省庁舎前庭で、「らい予防法による被害者の名誉回復と追悼の碑」の除幕式が行われた。
記念碑は「名誉回復及び追悼の碑」で、高さ70センチ、幅1メートルの黒御影(みかげ)石製で、碑には、次のように刻まれている。
「患者であった方々などが強いられてきた苦痛と苦難に対し、深く反省し、率直にお詫びするとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼の念を捧げ、ハンセン病問題の解決に向けて全力を尽くすことを表明する。平成23年6月厚生労働省」。
しかし、熊本地裁での原告勝利判決から10年。いまだハンセン病問題は多くの問題を抱えたままである。果たして、この間、厚生労働省は全力を尽くしてきた、胸を張っていえるだろうか。
これまで7つのハンセン病療養所が将来構想を策定し、さらに岡山県瀬戸内市の長島愛生園・邑久光明園も将来構想をまとめた。近々、厚生労働省に提出する予定で、これで9つの療養所の将来構想が示されることになる。
しかし、これまで提出された将来構想について、厚生労働省は、自らの法的責任を踏まえて、入所者と共にそれを実現していこうという積極的な姿勢がなく、ほとんど進展していないのが現状です。
毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110622k0000e040036000c.html
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今年のハンセン病市民学会in名護・宮古で企画された、八重山のハンセン病の歴史を巡るツアーについて、琉球朝日放送が、レポートしています。
1916(大正6)年、日本政府は、内務大臣管轄下に保健衛生調査会を設置した。
第四部会に光田健輔も委員に名を連ね、このなかで、光田は、「放浪患者」のみ隔離収容するのではなく、全てのハンセン病患者を隔離することを強く主張し、その構想実現のために行動を始めました。
光田健輔は、こうした絶対隔離の場所として、沖縄県の西表島や岡山県の鹿久居島・長島などの離島を調査しました。
1917(大正7)年1月、光田健輔は、後藤新平内務大臣に、西表島を最適とする報告をしました。
しかし、西表島は、マラリアの多発地帯であったため、光田健輔の、「西表島」構想は、内務省の採用するところとならなかった。
代わって候補地とされたのは、岡山県瀬戸内市邑久町の長島であった。
琉球朝日放送 報道部 » Qリポート ハンセン病隔離構想の島