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能登恵美子さんの遺稿集「射こまれた矢」(皓星社)を読みました。
能登さんは,1985年に皓星社に入社して以来,一貫してハンセン病療養所の入園者の方々の作品を世に送り出してこられた。『海人全集』(1993年)をつくったときに,療養所に収容された子供たちの作品に出会い,以来,ハンセン病の問題に目が離せなくなった。
その後,『ハンセン病文学全集』(2002 年~2010年)などの編集に精力的に取り組んでこられた。
2004年に「ハンセン病問題に関する検証会議」が立ち上がる前に,厚労省が設置したハンセン病問題に関する研究班(班長酒井シズ順天堂大学教授)が,国立療養所栗生楽泉園を視察した際,長島愛生園の宇佐美治さんとともに参加し,初めて能登さんにお会いしたように思います。とても精力的にハンセン病の問題に取り組まれている方だという印象を受けました。
その後,ハンセン病関連の書籍が出版されるたびに新刊書を送ってくださっていました。
能登さんは,自らが心血を注いだ「ハンセン病文学全集」(全10巻)が完結した後,2011年3月7日に,49歳の若さで亡くなられました。
「射こまれた矢」を読んでいると,ハンセン病の問題に打ち込んでおられた能登恵美子さんの姿が偲ばれます。
能登さんは,1985年に皓星社に入社して以来,一貫してハンセン病療養所の入園者の方々の作品を世に送り出してこられた。『海人全集』(1993年)をつくったときに,療養所に収容された子供たちの作品に出会い,以来,ハンセン病の問題に目が離せなくなった。
その後,『ハンセン病文学全集』(2002 年~2010年)などの編集に精力的に取り組んでこられた。
2004年に「ハンセン病問題に関する検証会議」が立ち上がる前に,厚労省が設置したハンセン病問題に関する研究班(班長酒井シズ順天堂大学教授)が,国立療養所栗生楽泉園を視察した際,長島愛生園の宇佐美治さんとともに参加し,初めて能登さんにお会いしたように思います。とても精力的にハンセン病の問題に取り組まれている方だという印象を受けました。
その後,ハンセン病関連の書籍が出版されるたびに新刊書を送ってくださっていました。
能登さんは,自らが心血を注いだ「ハンセン病文学全集」(全10巻)が完結した後,2011年3月7日に,49歳の若さで亡くなられました。
「射こまれた矢」を読んでいると,ハンセン病の問題に打ち込んでおられた能登恵美子さんの姿が偲ばれます。
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