"ハンセン病療養所"カテゴリーの記事一覧
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明日5月15日午前10時から午後5時頃までの予定で、厚生労働省の「歴史的建物等保存復元作業部会」の委員(東京工業大学藤岡洋保氏、弁護士鮎京真知子氏)2名と厚生労働省疾病対策課課長補佐木村氏の3名が、国立ハンセン病療養所長島愛生園と邑久光明園を、午前、午後の日程で、調査訪問することになりました。
午後1時頃からは、現地関係者(弁護団)として、私も合流する予定です。
統一交渉団(全療協、全国ハンセン病国賠訴訟原告団協議会、全国ハンセン病国賠訴訟弁護団連絡会)は、かねてより、厚生労働省に対し、ハンセン病問題対策協議会において、国立ハンセン病療養所に残る歴史的建物等の保存、復元や資料の保存を要求しています。
昨年の協議会で、歴史的建物等保存復元部会が正式に設置され、、今年4月24日の、群馬県の栗生楽泉園の調査訪問を皮切りに、全国13療養所の調査を行うことになっています。
今回の訪問は、同部会の2カ所目の訪問となります。
長島愛生園および邑久光明園での調査訪問では、歴史的建物の調査と自治会関係者からの聞き取りが行われます。
長島愛生園では、現在に至るも、国がハンセン病資料館として公式に認めず、資料館としての人員(学芸員)配置、予算措置を講じていない、愛生歴史館についても、資料保存、施設保存の見地から、国に資料館として位置づけるよう要望を行うことになっています。
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1907年に法律11号「癩予防に関する件」で府県立ハンセン病療養所の設置が決まり、1909 年 全生病院、北部保養院、外島保養院、大島療養所、九州療養所が設置されました。そして今年、これらの療養所は、設立から100年を迎えます。毎日新聞:ハンセン病国立療養所:菊池恵楓園が設立100年
岡山県にある邑久光明園も、外島保養院時代から通算して100年を迎えます。邑久光明園では100年記念誌を発行予定だそうです。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090402k0000m040158000c.html
読売新聞:大島青松園悲しい100歳
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagawa/news/20090331-OYT8T01098.htm -
昨日、国立療養所邑久光明園光明会館において、午後1時30分から3時まで、今年3月末で邑久光明園園長を退官される、牧野正直園長の講演会がありました。
大学教官だと最終講義にあたるものでした。当日は、職員の方々、入所者の方々が大勢お見えになっていました。
牧野園長は、1943年中国の藩陽市で生まれ、極寒の満州の地で命を落とすこともなく、残留孤児にもならず、幸運にも家族とともに、満州から引き揚げることができたこと。その後、昭和44年に広島大学医学部を卒業後、基礎医学を研究するために大阪大学大学院医学研究科にすすみ、その後、伊藤利根太郎先生に声をかけられ、大阪大学微生物病研究所文部教官助手(癩部門)となり、ハンセン病に関わるようになったこと、その後、ある出来事をきっかけに、らい予防法の存在に疑問を持つようになり、1990年頃から、らい予防法廃止に関わることになった経緯を話をされた。その後、ハンセン病学会(当時のらい学会)でらい予防法廃止を訴えたことや、厚生省のらい予防法見直し検討委員会の委員に加わることになった経緯や熊本判決後の厚生労働省が設置した第三者機関である「検証会議」でのご苦労や思い出についても触れられた。
また、邑久光明園園長に就任した後の、老人センターの建設などの取り組みについての思いを話をされた。
最後に、入所者、職員への感謝とともに、邑久光明園の「1.入所者にやさしい療養所を目指します。2.働く人にやさしい療養所を目指します。3.地球にやさしい療養所を目指します。」という、3つの理念について触れ、さらにこの理念が発展することを願っているという思いを述べられて、話を締めくくられた。
なお、4月からは、副園長として長年にわたり牧野園長とコンピを組んできた、副園長の畑野先生が園長となることになっています。
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2月3日付山陽新聞に国立療養所長島愛生園の宇佐美治さんのベルゲン体験記の記事が掲載された。
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2009/02/02/2009020221435372001.html
宇佐美さんは、昨年8月、らい菌を発見した、ノルウエーの医師アルマウエル・ハンセンの故郷ベルゲン市を訪れ、その体験記を、長島愛生園の機関誌「愛生」に寄稿した。
ベルゲン市訪問は、宇佐美さんの長年の願望でしたが、昨年8月にその希望が叶い、同市を訪問。カルテやハンセン関係の文書を保存している公文書館などを訪れた。
市内には患者と市民が一緒に祈りをささげた教会があり、墓地には患者が市民と区別なく埋葬されていた。四百年前から患者の治療に当たった施設が市の中心部に残っている。
宇佐美さんが隔離施設などの移転要望はなかったかを市民に尋ねると、「そんな失礼なことは考えたこともない」とあきれられた。
感染力の弱さなど病気への正しい知識が早くから浸透し、「患者との共生に拒否反応は少なかった」と聞いた。宇佐美さんは、強制隔離という日本の誤った政策が差別、偏見を助長した罪は重たいとあらためて感じた。
St Jørgen’s Hospital (ノルウエー・ベルゲン市)
http://www.histos.no/bergen/vis.php?id=11&kat=4&spr=en
The Leprosy Museum(ノルウエー・ベルゲン市)
http://www.bymuseet.no/?vis=80&spr=en -
栗生楽泉園入所者自治会は,2002年から,国に,園内にハンセン病資料館を開設することを求めてきた。
しかし,厚生労働省は,長島愛生園歴史館の開設のときも同じであるが,多磨全生園内に高松宮記念ハンセン病資料館(現在は国立ハンセン病資料館)があることを理由に,これを認めなかった。
そのため,同園自治会では,施設の名称を「社会交流会館」という名前とすることで,ようやく予算がつき,オープンにこぎつけた。
同館は,木造平屋建268平方メートルであり,館内の資料は約300点で,入所者の手による油絵や書,俳句などの芸術作品のほか,温泉を源泉から園内にひくための「引き湯管」などの,戦後もしばらく続いた過酷な患者労働の様子を示す道具や写真パネル等が展示されているそうである。
本来,それぞれの歴史をもっている療養所内に,個性のあるハンセン病資料館が設置されるのが当然であるにもかかわらず,厚生労働省は,ハンセン病資料館は日本で一か所で足りるとし,いまだに資料館の設置を認めず,長島愛生園歴史館等にも,資料館としての予算措置を講じようとしないのが,現状である。このような厚生労働省の姿勢は変えさせる必要がある。
毎日新聞(関連記事)http://mainichi.jp/area/gunma/news/20081106ddlk10040062000c.html
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国立療養所邑久光明園と長島愛生園での展示会のご案内
邑久光明園では、10月31日(金)~11月5日(水)まで、入所者、職員の手芸、陶芸、絵画、写真、生け花、盆栽のほか、俳句、川柳などの作品の展示会が始まっています。
長島愛生園では、11月7日(金)~11月11日(火)まで愛生会館において、入所者、職員の絵画、写真等の作品の総合展示会が開催されます。
ぜひ、一度お立ち寄りください。
秋の展示会:陶芸、絵画など力作292点--長島・邑久光明園 /岡山
瀬戸内市・長島の国立ハンセン病療養所、邑久光明園で31日、入所者や職員ら180人の総合展示会が始まった。5日まで。
同園入所者自治会(屋猛司会長)などが主催した。園内のサークル活動などで制作された手芸・陶芸作品、絵画や書、写真、生け花や盆栽のほか、俳句、短歌、川柳の文芸作品など、計292点が展示されている。同園入所者210人の平均年齢は81歳。屋会長は「文化活動は生きがいを持って健康に暮らす糧。力作ぞろいなので多くの方に見ていただければ」と話している。
午前9時~午後4時(5日は正午まで)開場。問い合わせは同自治会(0869・25・1278)。【小林一彦】
毎日新聞 2008年11月1日 地方版
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群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園の「社会交流会館」をハンセン病資料館として開設する計画が進んでいるようです。
ハンセン病資料館としては、多磨全生園にある国立ハンセン病資料館、長島愛生園歴史館、菊池恵楓園にある資料館があり、資料館としては4つ目となります。現在、邑久光明園もかつての小中学校跡をハンセン病資料館としてオープンする計画が進められています。
しかし、国は、国立ハンセン病資料館以外には、正式の「ハンセン病資料館」としては認めず、これまで自治会等が、度々要求しているにもかかわらず、長島愛生園歴史館には一人の学芸員の予算も付けないままです。長島愛生園歴史館は、年間約1万人が訪れるハンセン病資料館であり、すぐれた人権教育の場としての役割を果たしています。
国は、ハンセン病問題基本法の趣旨に則り、国として求められる役割を果たす義務があります。長島愛生園歴史館についても、ハンセン病資料館としてのその重要な意義を認め、しかるべき予算措置をとるべきだと考えます。そのための市民運動を一層すすめていく必要性を感じます。
東京新聞2008年9月8日の記事
草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」に、回復者たちが中心となって差別の歴史を伝える資料館を開設することが明らかになった。既に建物は完工し、年内のオープンを目指して準備を進める。同園には戦時中に患者たちを強制収容した「重監房」が全国の療養所で唯一存在し、復元の可能性を検討中。関係者は資料館と復元の重監房を両輪として、人権の大切さを学ぶ場に育つように期待を込めている。 (菅原洋)
建物は今年一月末に着工し、六月末に完工。木造平屋の床面積二百六十八平方メートルで、中は五室程度ある。厚生労働省が約五千六百六十万円で建設した。建物の正式名称は「社会交流会館」だが、利用法は回復者たちの自主性が尊重される。
そこで持ち上がったのが、資料館として活用するアイデア。現在、同園には自治会の資料室があり、別の建物に過去に使われた品々を保管している。
ただ、原則は一般公開しておらず、資料館の開設によって資料や品々をまとめて幅広い人々に無料で見学してもらうことにした。
展示を見込むのは、同園の自治会が発刊した患者五十年史「風雪の紋」の基になった貴重な資料類。厳しい労働で使われた作業道具、かつての医薬品や写真、回復者たちによる歌集をはじめとした書籍類なども想定している。
歴代の在園者名簿や納骨堂の名簿、外出証明書などもあり、個人情報に配慮した上で展示する考え方もある。
同園の自治会事務室は火災に遭ったために戦前の資料が少ないが、ほかの療養所から戦前の貴重な日誌類などを取り寄せて展示する検討も進めている。
重監房に関連したパネルなどを展示する案や、回復者が「語り部」となって職員の協力も得て見学者に展示解説する案も出ている。
同園の自治会では、十年以上前から資料館の開設が念願。国家賠償訴訟全国原告団協議会長で、自治会副会長の谺(こだま)雄二さん(76)は「東京には国立のハンセン病資料館はあるが、そこに並ぶような、質の高いものを展示する資料館にしたい。回復者たちの手作りこそが意義深い」と意気込んでいる。
<ハンセン病> 「らい菌」による感染症で、かつて「らい病」と呼ばれた。菌を発見したノルウェーの医師の名にちなむ。感染力は極めて弱く、日常生活では感染の心配はまったくなく、遺伝もしない。現在は新しい患者は極めて少なく、発病しても薬で完治し、療養所にいるのは大半が回復者。回復者から感染することもない。しかし、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで、強制隔離政策が約90年間も続いた。2001年に熊本地裁で隔離を違憲とし、国の責任を全面的に認める判決が出て、差別問題の解決に向けて機運が高まっている。
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国立療養所邑久光明園慰安会が発行している『楓』の最新号(通巻23号 2008.9.10)が届きました。
牧野正直園長が、”ESDボランティア塾ぼらばん”のことを紹介していました。ぼらばんのことは、このブログでもなんどか紹介しています。
ESDボランティア塾ぼらばんHP
http://www.research.kobe-u.ac.jp/hudev-hc/esd/
2年前から、ぼらばんに応募した学生さんたちが、夏休みに、邑久光明園に数日間泊まり込んで、ボランティア活動をしています。今年は、夏祭りのときに、ゆいの会の活動にも参加してもらいました。
若い人たちが、ボランティア活動に楽しみながら、はりきって参加している様子には素直に感動します。
戦前、日本がハンセン病療養所ソロクト更生園(現在は国立ソロクト病院となっている)を開設していた、韓国の小鹿島(ソロクト)にも、本土から、大勢の学生たちが、休みになると泊まり込みで、ボランティア活動をするために訪れています。ソロクトを訪れる度に、若い人たちが生き生きとして活動しているのを目にしてきました。ソロクトでは、ボランティアのための宿泊施設(ボランティア会館)があり、多くの若いボランティアたちがそこに宿泊しながら、ボランティア活動を通じて多くのことを学んでいきます。
ソロクトを訪れたときに、彼らと病院の食堂で一緒に食事をしたこともありました。
長島でも、このような若い人たちの活動が定着するように、ゆいの会も支援しつつ一緒に頑張りたいと思います。
ハンセン病療養所が地域に開かれた場所になるためには、こうした若い人たちの行動がとても大切だと思います。