"ハンセン病療養所"カテゴリーの記事一覧
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愛媛新聞が、11月に、「歩みきたりぬ ハンセン病療養所の100年」(1)~(9)という集中連載(高松支社・一宮弘美さん、生活文化部・村上直子さん)をしています。
同連載記事を書いた村上直子記者から、「ゆいの会」の活動を知りたいとの申し出があり、長島愛生園でのゆいの会の歴史館ボランティアの活動の様子を取材していただき、上記連載の(6)で取り上げていただいた。
上記連載では、療養所開設から100年を迎えた大島青松園を中心に、同園に暮らす入所者の方の声とともに、島の将来や市民の関わりが始まっていることを取り上げた、とてもよい内容になっています。
村上記者から、前記連載記事のコピーを送っていただきました。同社のHPで見られないのが残念です。図書館等で、機会があれば、ご覧ください。
連載(1) 「歌とともに 人間の尊厳 心に刻む」
連載(2)「老いゆく島 最後までここで生活」
連載(3)「重労働 支え合う 命を生活を」
連載(4)「生きる証し 社会とのつながり求め」
連載(5)「終生在園 不安 見えぬ将来構想」
連載(6)「市民ボランティア 意識変える架け橋に」
連載(7)「島に芸術を(上) 祭典に出会いの希望」
連載(8)「島に芸術を(下) 人の温かさに触れて」
連載(9)「近きふるさとへ 知り考えることから」
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昨日(9月9日)、黃焜璋(行政院衛生署病院管理委員会執行長)、李乃樞(行政院衛生署楽生療養院院長)、陳耀昌(台湾大学医学部教授 ハンセン病患者人権促進委員会委員長)、范燕秋(師範大学台湾史研究所助教授 ハンセン病患者人権促進委員会委員)、蘇恵卿(東呉大学法学部助教授 ハンセン病患者人権促進委員会委員)、林建亨(漢生病歷史紀錄片製作人)、楊仁佐(漢生病歷史紀錄片導演)の方々が、国立療養所邑久光明園と長島愛生園を訪れました。
私も、オブザーバーとして参加させてもらいました。
一行は、まず光明園を訪れ、畑野園長、看護部長、園幹部と面談し、活発な意見交換を行ったあと、病棟、センターなどを視察。
その後、愛生園に移動。愛生園でも、藤田園長、看護部長、園幹部と面談したあと、園長等の案内で病棟、センター等を視察したあと、園のマイクロバスで回春寮、収容桟橋、納骨堂、新良田高校跡など視察、最後に歴史館で田村学芸員から展示内容等について説明を受けた。
台湾では、2008年8月13日に、ハンセン病患者人権保障及び補償条例が成立し、さらにハンセン病患者や元患者の人権を促進するため、同年11月7日にハンセン病患者人権保障促進委員会が成立され、ハンセン病患者の人権回復問題も、重要視されています。
署立楽生療養院は台湾の唯一のハンセン病病療養所であり、目下258名の元ハンセン病患者の方々が園内で生活しています。
楽生療養院には、わが国の国立ハンセン病療養所にあるような入所者自治会組織がなく、人権保障促進委員会は、入所者の要望等を政府に提言する役割も果たすことになっています。また資料館建設も目指しているとのことでした。
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昨日8月4日は、国立療養所邑久光明園の納涼夏祭りが開催されました。
ゆいの会も、午後1時からの400個のおにぎり作りに、新8期生を含め会員11名が参加してくれました。さらに、毎年この時期に邑久光明園を訪れ、ワークキャンプを行っている「ぼらばん/ESDボランティア塾」を主催している神戸大学大学院人間発達環境学研究科の松岡先生、大学院生、ぼらばんに参加している学生さんたちも手伝ってくれました。
その後、夕方5時頃から、祭り会場に、「わた菓子屋」を開店。なじみの方も多く、通りすがりに声を掛けてくれました。
ことしは、4日から5日に掛けて、藤田保健衛生大学の佐藤労先生や学生さんたち16名が邑久光明園を訪れており、数名の学生さんたちが、途中から花火の打ち上げが終了する9時頃まで、「綿菓子屋」を手伝ってくれた。
来客数、約120人、一時は長蛇の列ができるほどの人気。いろいろな地域から訪れた人たちとのちょっとした会話が楽しみの一つです。初めての参加した学生さんたちにも楽しんでもらえたようです。
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昨日は、長島愛生園の納涼夏祭りが盛大に開催されました。例年よりも参加者が多い模様。
午後1時から午後8時まで開館した愛生歴史館も、大勢のグループや個人の方々が訪れました。初めて、訪れた人も多かったようです。
午後4時前に、岡山大学法科大学院の講義を終えて、愛生園に駆けつけ、愛生歴史館で、学芸員田村さん、「ゆいの会」の運営ボランティアとともに、歴史館を訪れた方々に、館内の案内を行いました。
その後、福祉会館まえの祭り会場に移動し、入所者の方々と話をしながらゆったりとして時間を過ごし、その後、宇佐美治さんの部屋を訪れ、食事をごちそうになりながら、楽しい時間を過ごした。
昨日の歴史館ボランティアと一昨日の祭りの準備に参加していただいた「ゆいの会」の皆様ご苦労様でした。
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今年も、長島愛生園、邑久光明園の入所者自治会から、納涼夏祭りの開催案内が届きました。
第34回 2009 長島納涼夏祭り
日時:平成21年7月30日(木)午後6時~8時30分
場所:長島愛生園 福祉会館前広場
催物:花火大会・福引き・傘踊り・和太鼓・農楽・おみこし・盆踊り(江州音頭)・わなげ・風船割り・魚つり・金魚すくい・ヨーヨーつり・ホールインワンゲーム・屋台・出店
*歴史館を5時から8時まで夜間特別開館します。
ゆいの会のメンバーが、歴史館には、この日もボランティアで大勢参加しています。
光明園創立100周年記念納涼夏祭り
1.開催日時 8月4日(火)(雨天順延)
2.場所 光明園売店前広場
3.プログラム
福引き大会、夜店 午後5時~7時30分
カラオケ大会 午後6時00分~7時55分
ゲスト(歌手 水沢明美) 午後8時00分~8時25分
花火大会 午後8時30分~9時
納涼大会終了 午後9時予定
ゆいの会も、光明園売店前で、大好評の「ゆいの会 わた菓子屋」をやっています。
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昨日(6月20日)、国立療養所邑久光明園での創立100周年式典に出席しました。
同式典には、入所者、職員、来賓等を含め、約170名が出席しました。
同式典では、畑野研太郎園長の式辞、厚生労働大臣の告辞(代読)、屋入所者自治会長の挨拶のほか、来賓として、大阪府知事(代読)、岡山県知事(代読)、瀬戸内市長(代読)、全国国立ハンセン病療養所施設庁協議会藤田副会長、全国ハンセン病療養所入所者協議会神事務局長の挨拶などが続いた。
また元外島保養院時代からの入所者3名に記念品が贈呈された。
厚生労働大臣は、告辞のなかで、今回の法律を契機として、療養所を取り巻く国・地方自治体・地域の住民等が一体となって、入所者の皆様が安心して豊かな生活を営むことができるように、偏見と差別の解消に向けた取組や、療養所の看護・介護体制の確保を進めるなど、改めてハンセン病問題の最終的な解決に努めていく必要があると考えております、と述べていました。
しかし、全療協事務局長の神さんが、式典の挨拶の中で、平均年齢80歳の入所者自らが、これからの療養所のあり方のプランを描けといわれても困難である。そうしたなかで、沖縄の二園(沖縄愛楽園、宮古南静園)では将来構想案を作成して厚労省に提出したが、厚労省は、これから検討させていただきますという回答にとどまり、自ら、真剣にこの問題に取り組もうという姿勢が全く感じられないと厳しく指摘していたことと併せ考えても、前記厚生労働大臣の告辞も、むなしいものに聞こえてくる。
厚労省は、「隔離の100年」の歴史の上に立って、ハンセン病療養所のあり方について真剣に、しかも待ったなしで取り組む必要がある。
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6月19日(金)午前10時から11時30分まで、国立療養所邑久光明園光明会館で、100周年式典が行われます。
創立八十周年記念誌(国立療養所邑久光明園 平成元年4月1日)によれば、外島保養院創設から、室戸台風で壊滅し、長島に復興されるまでの、概略は以下のようなものです。
邑久光明園の前身である第三区府県立外島保養院は、1909年(明治42年)4月1日、大阪府西成郡川北存大字外島に開所。その後、1934年(昭和9年)9月21日、第一次室戸台風と高潮により、外島保養院は倒壊流失、在院者173名、職員3名、職員家族11名が殉職。生存者は、全生病院、九州療養所、北部保育院、大島療養所、長島愛生園などへ分散委託。
1935年(昭和10年)、外島保養院の復旧地が、岡山県邑久郡裳掛村大字虫明の長島に決定され、長島民有地を買収した後、1937年(昭和12年)3月、復旧建築第一期工事起工式執行。翌38年(昭和13年)3月31日、第一期工事竣工。4月1日、名称を「光明園」と改称。4月27日、光明園第一期建築工事落成式挙行。以来、この日を開園記念日としている。5月31日、官舎敷地土木工事竣成。6月20日、北部保養院より委託患者20名が帰園したのをかわきりに、栗生楽泉園、長島愛生園、全生病院、九州療養所、大島療養所などから委託患者が帰園する。1941年(昭和16年)7月、当時の厚生省に移管され、1946年(昭和21年)11月、国立療養所邑久光明園に改称し、現在に至る。
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5月15日午前10時から午後5時まで、厚生労働省の「歴史的建物等保存復元作業部会」の委員(東京工業大学教授藤岡洋保氏、ハンセン病違憲国賠訴訟全国弁護団連絡会鮎京真知子弁護士)2名と厚生労働省疾病対策課課長補佐木村氏の3名が、国立ハンセン病療養所長島愛生園と邑久光明園を、訪れました。
報道関係者も、すべての新聞社、テレビが取材に駆けつけました。
統一交渉団(全療協、全国ハンセン病国賠訴訟原告団協議会、全国ハンセン病国賠訴訟弁護団連絡会)は、かねてより、厚生労働省に対し、ハンセン病問題対策協議会において、国立ハンセン病療養所に残る歴史的建物等の保存、復元や資料の保存を要求しています。
今回の作業部会のハンセン病療養所の訪問は、4月の栗生楽泉園に次いで2カ所目の訪問となります。
長島愛生園および邑久光明園での調査訪問では、それぞれの歴史的建物の調査と自治会関係者からの聞き取りが行われました。
長島愛生園では、午前10時から、藤田園長からの概要説明の後、1時間30分以上掛けて、愛生歴史館をはじめとして10カ所の歴史的建物を調査し、その後、自治会役員からの聞き取りを行いました。聞き取りはほぼ1時間に及んだ。
自治会会長から、木村氏に、園内に残る歴史的施設の保存と、愛生歴史館を国の資料館として認めて予算措置をとること、学芸員2名を確保することなどを求めた「要望書」を手渡し、その内容を説明した。
また2時頃から5時頃まで、光明園でも園からの説明と、歴史的建物の調査、自治会役員からの聞き取りが行われた。
光明園では、監禁室、旧小中学校、双葉寮(少年少女舎)などを調査。自治会長から、双葉寮を修復保存し、資料展示室として使用したいこと、旧小中学校を保存して、人権啓発のための映像室や研修室として使用したいとの要望を行った。