"ハンセンボランティア「ゆいの会」の活動"カテゴリーの記事一覧
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ハンセンボランティア「ゆいの会」では、昨年の国立療養所長島愛生園の「史跡をめぐるハイキング」に続き、今年も、第2弾として「十坪(とつぼ)住宅と史跡めぐり」を開催します。
長島愛生園に残る歴史遺産である「十坪住宅」やその他の史跡めぐる企画です。
日時 2017年4月9日(日)
午後1時 長島愛生園歴史館前集合
午後1時10分 史跡めぐり
午後2時30分 十坪住宅 現地解説(十坪住宅修復・保存運動に協力していただいている建築士、愛生園入所者自治会)
午後3時10分 史跡保存運動について
午後3時30分 解散
募集定員:どなたでも参加できます。親子連れの参加も歓迎します。
費用:無料
★申込方法等、詳しくは下記チラシをご覧下さい。
ゆいの会主催「十坪住宅と史跡めぐり」チラシ
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ハンセンボランティア「ゆいの会」は、12月5日(日)12時~13時、JR岡山駅で、「十坪住宅」修復保存の署名活動を行いました。
「十坪住宅」は、戦前、国立療養所長島愛生園の光田健輔初代園長の発案で、「無らい県運動」の一環として定員を超えて患者を収容するため民間から寄付を募り、長島愛生園に、149棟が建設されました。
「十坪住宅」建設運動の概略は、次のようなものです。
ハンセン病患者の絶対隔離に向けて、1930(昭和5)年11月に新設された国立療養所長島愛生園は、開園後4か月の1931年3月、収容患者数は定員の400名を超え、以後、定員超過の状態が続きました。こうした中で、より多くのハンセン病患者を隔離収容するために、光田健輔医師(後に長島愛生園の初代園長となる)が、1923年フランスのストラスブールで開催された「第3回国際らい学会」からの帰路の際に立ち寄ったフィリピンのクリオン療養所でみたニッパ椰子の葉を葺いた小屋から考案したのが、「十坪住宅」建設計画でした。
これは広く国民から寄付金を募り、患者作業により1棟400円(1933年より500円に、1936年には600円に増額されている)の資材調達の予算で6畳2間の十坪住宅を建設し、建設後はこれを国庫に寄付する形で、定員を超過した入所者の住宅にあて、1棟に4~8人を収容しようとするものでした。
十坪住宅建設運動は、「祖国を浄化せむが為」になされるものであり、「単に患者の保護だけでなく、健康なる一般国民の保護」の運動と位置付けられており、「在園患者にとっては、衣食住のすべてに亘る生活資料の割愛を忍ばねばならぬ結果となり、生活標準低下の招来を覚悟しなければならぬ。」(【愛生】9号「十坪住宅運動の生命と価値」事務官 四谷義之)と犠牲奉仕の精神が求められました。1934(昭和9)年8月末現在で3万1085円85銭の寄付金が集まり26棟を国庫に寄付し、1936(昭和11)年5月までには5万8266円49銭の寄付が集まり58棟を国庫に寄付しました。さらに同年8月のいわゆる「長島事件」後に急激に寄付金は増加し、1937(昭和12)年5月末現在までの寄付金は12万9469円63銭に達し、国庫に寄付した住宅は79棟となりました(財団法人長島愛生園慰安会【十坪住宅】第6版15頁~20頁「十坪住宅工事一覧表」より)。
1932(昭和7)年から(第1号は1932年7月20日竣工の慈岡寮)から、1944(昭和19)年までに、合計149棟が建設されました。
長島愛生園に現存するものはそのうち僅か5棟となっています。「無らい県運動」の歴史を伝える貴重な建物ですが、4棟は傷みが激しく、このままでは近い将来朽廃してしまう危険性があるため、当会は、多くの地元の建築家、大工さんの協力を得て、「十坪住宅」の修復保存運動を始めています。ぜひご協力ください。署名用紙は、7月16日付けの本ブログをご覧下さい。
毎日新聞12月4日付朝刊「十坪住宅」保存求め ゆいの会 JR岡山駅で署名活動」
「十坪住宅」保存求め ゆいの会、JR岡山駅で署名活動 /岡山
http://mainichi.jp/articles/20161204/ddl/k33/040/313000c -
ハンセンボランティア「ゆいの会」は、来る8月27日(土)午後2時~4時 きらめきプラザ702号室で、会員を対象に、ハンセン病療養所の永久保存に向けた今後の取組みについての勉強会を行います。
勉強会終了後は、勉強会参加者を中心に、「十坪住宅修復保存運動」の街頭宣伝活動を行います。
日時:8月27日(土)午後5時~6時 岡山駅西口2階連絡通路
さらに、現在、長島愛生園に残る「十坪住宅」の修補保存運動に取り組んでいるハンセンボランティア「ゆいの会」は、来年の1月21日(土)午後に、岡山市の「西川アイプラザ」(http://www.nishigawa-i.jp/)で【シンポジウム&コンサート】を計画しています。
第1部のシンポジウムでは、ハンセン病療養所の世界遺産登録に向けた地元での運動を高めるため、十坪住宅修補保存運動を支援していただいている東京大学大月敏雄教授(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授)をシンポジストに向かえて、ハンセン病療養所の永久保存に向けた具体的な地元での取組みの在り方などに討論をする予定です。
また第2部では、国立療養所大島青松園などでの入所者の方々との交流を続けておられる歌手の沢知恵さん(http://www.comoesta.co.jp/)のコンサートを計画しています。
詳細は、後日、このブログでご案内します。
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ハンセンボランティア「ゆいの会」は、国立療養所長島愛生園に残る「十坪住宅」の補修保存のための募金と署名活動を行っています。署名は10万筆、募金は1000万円を目標としています。
最終的な目標は、「十坪住宅」をはじめとして全国のハンセン病療養所に残されている歴史的建物等を補修保存し、それぞれの場所を人権教育の場として永久保存することです。
現在、ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・岡山(会長:武久顕也瀬戸内市長)では、長島愛生園、邑久光明園に残る歴史的建物等について、瀬戸内市、岡山県と協議しながら、市および県の文化財登録の手続を進めています。
この度の「十坪住宅補修保存」運動は、こうした一連の目標の一環と位置付けています。
リーフレット「十坪住宅を保存しよう」
「署名用紙」
(クリックしてダウンロードして、ご活用ください。)
署名用紙の送り先は、下記の住所へお願いします。
ハンセンボランティア「ゆいの会」事務局
〒700-0817
岡山市北区弓之町1-17
五藤ビル4階 山本勝敏法律事務所
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ハンセンボランティア「ゆいの会」は、6月11日(土)午後5時から6時まで、岡山駅2Fの東西連絡通路で、国立療養所長島愛生園の「十坪(とつぼ)住宅」修復保存のための募金・署名活動を行いました。
ゆいの会の関係者と、今回、協力を申し出てくれた朝日高ボランティア部「JRC」の学生さんたちを加えた総勢約30名が参加。1時間で約150通の署名が集まりました。
戦前、愛生園に約150棟が建てられた十坪住宅は、現在5棟が残っていますが、このままでは早晩、朽廃してしまいます。十坪住宅は絶対隔離政策を象徴する歴史的建物であり、同じ過ちを繰り返さないための遺産として保存したいと考えています。できれば、市民の力で1棟を補修したいと願っています。
山陽新聞2016.6.12朝刊
http://www.sanyonews.jp/article/364223/1/
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ハンセンボランティア「ゆいの会」は、新しく、リーフレット「十坪住宅を保存しよう ハンセン病療養所の世界遺産登録運動第1弾」を作成しました。
これから、リーフレットを活用しながら、「十坪住宅」の修復保存のための、署名活動と修復費用のための募金活動を開始します。詳細は、末尾のリーフレット「十坪住宅を保存しよう」をご覧ください。
「ゆいの会」では、園及び入所者自治会とも協議し、現在、地元の建築士10名余りのご協力を得て、愛生園に現在5棟残っている「十坪住宅」の測量調査・測量図面の作成のための作業を行っています。
ぜひ、署名、修復費用のための募金にご協力をお願いします。
リーフレット「十坪住宅を保存しよう」
「署名用紙」
署名用紙の送り先は、下記の住所へお願いします。
ハンセンボランティア「ゆいの会」事務局
〒700-0817
岡山市北区弓之町1-17
五藤ビル4階 山本勝敏法律事務所
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ハンセンボランティア「ゆいの会」は,国立ハンセン病療養所長島愛生園に残る「十坪(とつぼ)住宅」の修復保存運動を始めています。
その一環として、8月7日から,建築士に「十坪住宅」の調査を依頼しました。9月4日に2回目を実施しました。現在,愛生園に残る5棟のうち3棟(路太利・母の家・第二兵庫)は修理・復元することが可能とのことです。
現在,調査の中心として尽力していただいているのは,建築家・島村鐵二氏(岡山理科大学専門学校),建築家・片岡八重子氏((株)ココロエ一級建築士事務所代表)です。
第3回の調査は,10月29日(木)に実施し,11月の後半には,片岡さんが師事された大月敏雄教授(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻)にも参加していただく予定です。
調査が完了すれば報告書を作成していただき,ゆいの会主催で,ハンセン病療養所に残る歴史的建物保存に向けた運動を盛り上げるため,市民向けの集会を開催したいと考えています。
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ハンセンボランティア「ゆいの会」では、長島愛生園に残る「十坪住宅」の修復保存運動を今年の秋頃を目途に始動する計画を立てています。
本日の山陽新聞朝刊に、「十坪住宅」を修復保存運動に向けての「ゆいの会」の考え方などが紹介されています。
また本日の毎日新聞にも、紹介されています。ぜひ、ご覧下さい。
ここでも少しだけ「十坪(とつぼ)住宅」について紹介します。
「十坪住宅」は、後に長島愛生園初代園長となる光田健輔医師(1876年1月12日ー1964年5月14日)が、 1923(大正12)年に第3回国際らい学会に出席した際、フィリピン・クリオン島のクリオン療養所(1906年開設、その後の隔離法廃止を経て、現在は クリオン区となり、回復者や医療関係者やその子孫ら、約2万人が暮らしている)に立ち寄り、島の斜面に建てられていたニッパ葺きの小屋を見て、ヒントを得 たと言われています。
わが国初の国立ハンセン病療養所である長島愛生園は、1931(昭和6)年から患者の収容を開始し、国の「無癩県運動」に呼応する形で、設立当初から、定員を超えハンセン病患者の収容を推進しましたが、それを可能にしたのが「十坪住宅建設運動」でした。
個人や民間の団体から寄付を募り、患者作業で建設し、建設後は国に寄付するという形で進められました。1932(昭和7)年に、第1号の「十坪住宅」が長島に建設され、その後、149棟が、主に島の斜面に建設されました。
当時,長島愛生園慰安会(代表光田健輔)が作った小冊子「十坪住宅」では,この寄付を愛国献金と謳い,十坪住宅建設運動は患者の強制隔離のための世論喚起のために利用されました。
そして、定員を遙かに超えて患者が全国から収容されましたが、国から支給される予算は定員分しかなく、「十坪住宅」の建設は、入所者の生活や医療等の急激な悪化を招きました。しかし、十坪住宅建設に協力した市民らにとっては、そのような過酷な実態は知らされないままでした。
「ゆいの会」では、こうした「十坪住宅建設運動」の歴史的意味や私たち市民が果たした役割を改めて見つめ直し、愛生園に僅かに残る「十坪住宅」を、重要な歴史遺産として修復保存したいと考えています。
先頃、厚生労働省は、国立ハンセン病療養所13園に残る歴史的建物のうち、緊急に補修が必要なものとして6つを選定し、3年間かけて毎年2つづつ補修することを発表しました。但し最終的な保存工事ではなく,あくまで緊急補修という位置づけです。しかも、各療養所の入所者らが保存を要望している歴史的建物等のごくごく一部にしか過ぎません。その選定の基準も明確ではありません。なぜ、6つ以外の歴史的建物が、補修から外れたのか?
歴史的にみて重要な意義を持ち、緊急に補修が必要な「十坪住宅」が、なぜ補修リストから外れたのかも分かりません。邑久光明園にも、自治会が修復保存を要請している「少年舎」などの歴史的に重要な建物がありますが、これらも補修リストからは外れました。
ゆいの会としては、手始めとして「十坪住宅」を取り上げ、この修復保存運動を県民運動として広げていくことで、ハンセン病療養所を、わが国のハンセン病政策の誤った歴史やその中で生き抜いてきた人々の姿を伝える歴史遺産として保存しようという運動や世界遺産登録運動にもつなげていきたいと考えています。 -
4月6日,午前10時30分から,岡山県総合福祉会館で,ハンセンボランティア「ゆいの会」の総会が行われました。
昨年度1年間の活動報告,収支決算,今年度の活動方針,予算などの議事が行われ,無事承認されました。2004年3月に正式に,ハンセンボランティア「ゆいの会」を立ち上げ,今年で10年目に入ります。
総会終了後の午後2時からは,同会館1階の大ホールで,ゆいの会主催の,「もういいかい ハンセン病と三つの法律」の上映会が行われました。この上映会には,県内の多くの団体から,共催,後援をいただきました。その甲斐もあり,風と雨のなか,約220人の方々が参加していただき,とても好評で,盛況な上映会となりました。一般の市民の方々のほか,長島愛生園,邑久光明園の入所者,職員の方々も参加していただきました。
「もういいかい」は,90年近くに及ぶ,我が国の誤ったハンセン病政策のもとで,ハンセン病を患い,施設に収容された人々に,どのような人生が待ち受けていたのか,その中で,どのように生き抜いてきたのかが,関係者の証言や史料,映像をもとに,じっくりと描かれている作品でした。