"日記"カテゴリーの記事一覧
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3月15日、岡山市御津虎倉の周辺に住む住民662名が、同地区に建設が予定されている、最終処分場及び焼却施設の建設差し止めの仮処分の申し立てを、岡山地裁に行った。
業者が管理型最終処分場の建設を予定している同地区には、オオタカをはじめとし多種多様の希少動植物が存在しています。
また、本陣山と笹目谷を含む御津虎倉地区には、豊かな自然が昔のままに残され、この豊かな自然を保護し、次の世代に伝えることはこの地で生活を営むものの責務であり、宇甘川流域では、自然の恩恵を受け椎茸、水稲、山芋、マスカット、ピオーネ等の岡山を代表する特産物を栽培する多数の農家があり、若い農業後継者も着実に育っています。
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原爆症認定訴訟(岡山地裁第1民事部係属)が、平成18年(2006年)11月2日の提訴以来、3年3ヶ月を経て、16日に結審した。
この日は、原告川中さんと弁護団からの意見陳述が行われた。原告の川中さんは、残された被爆者は被曝の実相を明らかにし、体験、経験を通して後世に伝えていく義務があると思い、この裁判を闘ってきたと述べ、提訴して3年の間に、原告として体験し得たことは、これからの人生に生かしていくうえで、とても意味あるものとなったと語り、裁判所には、被爆者に寄り添った温かい気持ちを注いで欲しい、心ある裁判であることを願ってやまないと訴えました。
この日は、被告国も意見陳述を行い、すべての審理を終了した。
判決は、5月25日16時30分と指定された。
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19日午前10時から、日弁連で、今年度1回目の「国内人権機関実現委員会」の会議があり上京した。
日弁連では、裁判所とは別に、人権侵害からの救済と人権保障を推進するための国家機関である「国内人権機関」の設立をめざしています。
世界各国では、人権を保護し、あるいは人権状況を監視する110の国内人権機関が設置されています。国内人権機関は、個人で構成されるオンブズマンタイプと複数の委員が選任される人権委員会タイプに分けられます。
2008年11月に、日弁連は、真に政府から独立した国内人権機関を内閣府に置くこととする要綱を公表しています。
今後、日弁連は、議員会館での院内集会や各単位会主催の勉強会等を開催し、さらに広く、日弁連の考え方を、会内外に知ってもらうための積極的な活動を行うこととしています。
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2009年12月29日(火)から2010年1月3日(日)まで、大供公園周辺(岡山市役所東隣り)で、おかやま年越派遣村(主催:派遣・労働者支援センター)が実施されることになり、参加しました。
期間中の活動内容:①相談活動(労働相談、法律相談、住居相談、生活・健康相談)、②緊急の住居確保・・岡山市の担当課と連携して緊急宿泊所の確保、③炊き出し=昼(大供公園)と夜(城下・南方)=岡山野宿生活者を支える会と共同事業。
法律家の団体である、青年法律家協会岡山支部も、この問題を放置することはできないとして、派遣村での相談員を会員から募集しました。
本日は、山崎博幸弁護士と私が相談員として参加しました。明日からも1月3日まで、交替で会員が参加することになりました。
今日は、会場に来られた相談者のうち、緊急宿泊所を求めていた8名全員に、市役所が確保していたシェルターに、本日から年始(1月5日まで)に掛けて、宿泊できることになりました。もちろん、その後の住宅確保、生活保護申請支援、就労支援等のフォローが重要です。
市役所には、明日以降も引き続き必要な緊急宿泊所を確保する努力をしてもらいたいと思います。
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2008年末、倉敷チボリ公園は閉園しました。開園以来10年余、岡山で「チボリ」構想が持ち上がってから、実に20年にわたる粘り強い「チボリ」に反対する闘いが終結したことを受けて、12月16日、「チボリ」闘争終結のつどいが、岡山市の「サンピーチ」で盛大に行われ、チボリ訴訟弁護団の一員として山崎博幸弁護士、山本勝敏弁護士とともに参加しました。
レジャーランド「チボリ」が開園してから、数百億円の公金がつぎ込まれてきました、開園の翌年から減り続ける入園者、逆に増え続ける累積赤字のなか、2008年末、「チボリ」は破綻し閉園となりました。
「チボリ」への莫大な公金投入の違法性を問う訴訟は、チボリ・ジャパン社への県職員派遣問題、県施設の無償貸与、出資、融資の差し止めなど6次にわたる訴訟が争われました。
一方で、「チボリ」に反対する県民の会、チボリはいらない倉敷市民の会、チボリ弁護団は、2005年3月には、「破綻したチボリに法的整理を」という提言を発表し、チボリ事業が、公共性もなく、これ以上の公金を投入しても再建することはもはや不可能であり、速やかに精算に向けた検討をすべき時期にきている。県も議会も、問題を先送りすることなく、真剣にチボリ・ジャパン社の精算に向けた破綻処理を検討することを、岡山県知事、岡山県議会、倉敷市長、倉敷市議会に強く要望した。
この頃から、チボリの破綻処理に向けて、事態は大きく動き出し、ついにはチボリの終えんを迎えました。
しかし、当初から破綻することは予想されたチボリ事業に莫大な公金をつぎ込むことを決め強く推進してきた県、市、議会が、その責任をまったく自覚せず、今日まで、真剣にチボリ事業の破綻についての総括をしようとしていない。残念ながら、これが、現在の県、市、議会の姿です。
苦い「チボリ」の教訓から多くのことを学び、同じ過ちを繰り返さないように、みんなで頑張っていく必要があります。