"海外事情"カテゴリーの記事一覧
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台湾の楽生療養院で,地下鉄建設計画に伴う旧楽生院の施設撤去・立退き問題で闘っている,有志の院生の組織である「楽生院保留自救会」の李添培会長から,弁護団等の支援者へメッセージが届いています。
政治情勢もあり,台湾ではハンセン病患者に対する補償等に関する法案の審議も,難航しているようで,気がかりです。
(メッセージ)
これまでの大谷派、弁護団、市民学会はじめ、日本の皆様の御支援に重ね重ね感 謝申し上げます。以前お伝えしましたように東京大会への参加も検討していまし たが、人手および予算の問題から叶いませんでした。楽生院の現状ですが、膠着 状態が続いております。政府は地下鉄の計画変更や部分開業が可能であるといい ながら、実際の検討には消極的な態度を示し続けています。また国会の休会が近 づいているにも関わらず、人権法案の審議も棚上げにされたままです。3年前320名いた入所者は、280名まで減少しました。私たちに残された時間は余りありません。5月20日には新政権が誕生しますが、「景気の回復、経済の建て直しを最優先」という政策方針の前にハンセン病問題の解決がなおざりにされることが予想されます。また、総統馬英九氏をはじめとして新政権には地下鉄計画・建設に関わってきた政治家・官僚が多く携わっています。私たちの闘いはこれからも困難を極めるでしょうが、日本による絶対隔離政策の下での植民地を含むさまざまな被害の事実(植民地解放後の政権によるその継承も含めて)を風化させないために、そして現入所者の最低限の「生きる」権利を守り抜くために、これからも連帯の輪を広げてゆくことが必要です。何卒よろしくお願いします。また、お時間がありましたら是非楽生院にいらしてください。お待ちしております。
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フィリピンのクリオン島は、マニラの南西約200カイリ(1カイリ:1852m)先のパラワン(palawan)の最北端に位置する島で、カラミアン諸島(Calamianes Group of Islands)に属する島です。
1900年初頭から、ハンセン病患者は、法律により、家族や愛する人らから引き離され、クリオン島に収容されることになりました。
それから100年後の現在、クリオンは、回復者やその家族、医療関係者、そして彼らの子供や孫達ら、約2万人が暮らす行政区として生まれ変わっています。
かつては、ハンセン病患者のみを収容していた病院は、いまでは総合病院(general hospital)となっています。
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今年(2008年)1月30日から2月4日まで,インドのハイデラバードで開催された第17回国際ハンセン病学会に,長島愛生園の宇佐美治さんのヘルパーとして,同行されていた難波幸矢さんから,一昨日の「新・あつい壁」の上映会の際に,「インドにあるハンセン病コロニーを訪ねて」というレポートをいただきました。
難波さんが一番印象に残ったといわれていた,ハンセン病コロニー「サンティナナール」に関する箇所を,レポートのなかから紹介します。インドには,「サンティナナール」が大小600以上あるそうです。
「サンティナナールには122人の患者さんとその子どもや孫たちが一緒に生活していました。家は日本の療養所のような長屋式ではなく,こじんまりしていますが其々一戸建ちのコンクリートの家で,壁の色も形もいろいろでした。家の中は清潔で整理整頓できていて驚きました。全体で540人余りとのことでした。何よりも子どもたちの顔が明るく屈託がなく,すぐに訪問者の私たちと英語で話し,両方が知っている英語の歌を歌ったりしました。
20歳くらいの娘さん(患者の孫)がコロニーの中のことについていろいろ説明してくれました。驚いたのはその娘さんの歯です。矯正していてワイヤーが見えました。これだけ見ても,その村全体の生き方や希望が感じ取れました。政府の支援はないとのことでしたが,外国からの支援の中で英語で教育を受け,職業に付ける可能性を広げ,親を支える子供が育っているのです。一見当たり前のように思えることですが,私たちは学会の会場とホテルの行き帰りに,特に信号の前後で物乞いをする大人や子どもを目の当たりにしていましたので,その差を強烈に感じました。
またその村の中に一軒の小さな治療所があり,ちょうどそこに治療を受けに来ていた人がいました,同行していた医者によりますと,治療をするのは訓練を受けた元患者さん。受けるのは足底の潰瘍。大変よい治療をし,履いているサンダルは最高のものとのことでした。
足底の潰瘍を傷めないようによく配慮されたそのサンダルの製造所は,カリギリといって,世界的に有名な,ハンセン病のためのスタッフのトレーニングとしてはメッカのような所なのですと医師は教えてくれました。潰瘍のある人は1年に3回位サンダルを変えるといいのだと聞いたことがあります。
今回のインド行きで,このコロニーとの出会いが一番印象的でした。・・・・・」
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現在、日本のハンセン病療養所の将来構想が重要な課題となっています。
ハワイのモロカイ島にあったカラウパパ療養所は1980年から国立歴史公園となっていることはご存じの方も多いと思います。2000年に一度訪れたことがあります。
1969年の法廃止後もこの島で暮らすことを選んだ人たちの生活とプライバシーを守りつつ、ハンセン病隔離政策の歴史を後世に伝えています。
オーストラリア大陸北西部、クリーブランド州ブリスベンのモートン湾にあるピール島(Peel Island)も、2007年12月18日に、Teerk Roo Ra(Peel Island)国立公園・自然保護公園として宣言されました。(http://www.fopia.org.au/)
この島には、1907年から1959年まで、Lazaret(ハンセン病療養所)が設置されていました。患者の数はピーク時には86名といわれています。
現在も収容施設の多くが残されており、さらにいくつかは修理保存されているそうです。
施設が閉鎖されたとき、州政府はこの跡地をどのように利用するか検討し、いろいろな案、例えばリゾート計画や、ゴルフコース、住宅地などが計画されたそうです。
しかし、最終的には、ハンセン病患者を隔離してきたこの島の歴史を忘れず、後世に伝えるために、国立公園・自然保護公園とすることを決定したそうです。
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本日、オーストラリアのケビン・ラッド首相が、オーストラリア連邦政府の首相として初めて、「盗まれた世代」へ公式に謝罪し、強制隔離の犠牲者であった人々に、心からの謝罪であったと受け止められたそうです。ハンセン病強制隔離政策に対する日本の首相談話と比べると、格段に重みがあると思われます。
「盗まれた世代」というのは、1880年代から1960年代にかけて、オーストラリア政府によって国策として行われたアボリジニの混血児の白人社会への同化政策により、親から強制隔離されたアボリジニの子どもたちのことです。「裸足の1500マイル」(2002年 オーストラリア)という感動的な映画を観られた方もおられるのではないでしょうか。
2008年2月13日
ケビン・ラッド首相による盗まれた世代への謝罪
プレス・リリース TK07/2008
本日、午前9時(東部サマータイム現地時間)にケビン・ラッド首相は第42回連邦議会の席 上、オーストラリア連邦政府首相として、先住民の盗まれた世代に対する初の公式謝罪を行い、議会は満場一致でこれを支持しました
(英文スピーチ翻訳:文 責―在日オーストラリア大使館)我々は本日、この国土の先住緒民族、その人類の歴史上最古にしていまなお続く文化に敬意を表する。
(写真) http://www.dfat.gov.au/indigenous_background/photographs.html
我々は、過去の彼らへの仕打ちを反省する。
我々は特に、わが国の歴史における汚点の章である盗まれた世代の人々への仕打ちを反省する。過去の誤りを正し未来に自信を持って歩むことで、オーストラリアの歴史の新しい一頁をめくる時が来た。
歴代の議会や政府が法律や政策を通じて、我らの同胞に対して深い悲しみや苦悩及び喪失を与えてきた点に謝罪する。
我々は特に、アボリジニやトレス海峡諸島民である子供達を、その家族やコミュニティー、そして故郷から引き離した点を謝罪する。
こうした盗まれた世代の人々と彼らの子孫の痛みや苦悩、苦しみに対し、また取り残された家族に対しお詫びする。
家族及びコミュニティーの崩壊に関して、母親や父親、兄弟、姉妹に対しお詫びする。
そして、誇りある人々、誇りある文化が斯くして侮辱され、貶められたことをお詫びする。
我々オーストラリア議会は、国家としての回復の一端として提示されるこの謝罪が、同様の精神で受け入れられるよう敬意を込めて要請する。
我々は、我らが大いなる大陸の歴史に、この新しい頁が今まさに書かれんことを決意し、未来への勇気を得る。
我々は本日、過去を認め全国民の未来への権利を謳うことで、この最初の一歩を踏み出す。
我々議会は、この未来において過去の不当な行いは決して再現されてはならないと決意する。
この未来において、平均寿命や教育、経済的機会における先住民と非先住民間の格差を埋めたいという全オーストラリア国民の決意を活かしていく。
この未来において、過去の手法で失敗してきた以前からの問題への新たな解決策の可能性を生かしていく。
この未来は、互いへの尊敬や相互間の決意及び責任に基づく。
この未来において、全国民は出自に関わらず真に平等なパートナーとなり、均等な機会を得ると共に、この偉大な国オーストラリアの歴史に新たな章を作るのに平等に参加できる。
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韓国のハンセン病補償法というべき法律「ハンセン人特別法」について、韓国の Media Gate News(2007年9月14日)は、以下のように報道しています。
なお、韓国ではハンセン病回復者のことを、「ハンセン人」と呼んでいます。
「ハンセン人特別法」国会 保健福祉委員会 通過
ハンセン人事件 被害者の慰労と生活支援金 支給
84人虐殺事件等、ハンセン人被害事件と関連する被害者と遺族に対し慰労と生活支援金を支給することを内容とする法案が、国会の保健福祉委員会を通過した。
国会は(9月)11日、全体会議を開き、「ハンセン人被害事件の真相究明と被害者の生活支援等に関する法律案」(金チュンジン議員発議)を議決した。
法案によれば、ハンセン人隔離事件、84人虐殺事件、五馬島開拓事件など、ハンセン人被害事件に対する被害者と遺族に対して支援金を支給する。また被害者のためのハンセン人住居福祉施設を設置する。
また、ハンセン人被害事件の真相究明委員会が設置された日から2年以内に、ハンセン人被害事件と関連した情報収集と分析を完了しなければならない。記念館建立などハンセン人被害事件の被害者を慰労し、歴史的意味を再認識するための記念事業に国家と地方自治体が事業費を支援する。
金チュウジン議員は、”数十年間、制度と偏見の差別にさいなまれてきた1万6000余名のハンセン人たちが、この法律の通過を契機に、ハンセン病歴者だけでなく健全者がハンセン人と政府から認定を受け、過去の被害に対し、政府の公式的な真相究明を通じて名誉回復が可能になる”、と法制定の意義を明らかにした。
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ハンセン病問題に取り組んでいる台湾の友人から、「台湾では、ハンセン病補償法が成立しませんでした」という内容の年賀状をいただきました。
ハンセン病国賠訴訟の熊本地裁での勝利後、日本の弁護士と、台湾、韓国の弁護士が一緒に取り組んできた、東京地裁での台湾楽生院訴訟、小鹿島(ソロクト)更生園訴訟などにより、韓国、台湾でもハンセン病問題に対する関心が強まり、ハンセン病患者・回復者の名誉回復や補償を目指した法律の制定に向けた動きが生まれました。
韓国では、韓国国家人権委員会がハンセン病問題に取り組み、同委員会が政府に新たな立法の制定を勧告したことを契機として、昨年、あらたに「ハンセン人特別法」が制定されました。
台湾では、楽生療養院に入所している有志で作っている自治組織「自救会」やその支援者らが提案していた、ハンセン病患者・回復者の名誉回復や補償を定めたハンセン病補償法案は、結局、国会を通過しなかったそうです。
自救会の皆さんを始めとしてこの法律の制定を願っていた入所者の方々の落胆ぶりが目に浮かびますが、ぜひとも頑張っていただきたいと思います。
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韓国のハンセン病療養所、国立小鹿島(ソロクト)病院に新病院長が就任したという記事が、2007年10月18日付韓国日報に掲載されています。
おおむね以下のような内容です。
「小鹿島(ソロクト)を福祉共同体にしたい」 朴(パク)・ヒョンチョル国立小鹿島病院長
" 16日就任したパク・ヒョンチョル(46)国立小鹿島(ソロクト)病院長は、"勤務条件は良くないだろうが、10年余りの間、保健所に勤めながら悟った公共医療サービスを、小鹿島(ソロクド)で実践したい"と話した。保健福祉部がハンセン病に対する偏見と低い報酬などで、内部志願者を探せず、外部公募に応募した朴氏が院長に任命された。パク院長は、"小鹿島(ソロクト)病院は、単にハンセン病を治療する所でなく、人間の尊厳を具現して共に生きる社会を作る崇高な空間"であり、"ハンセン人だという理由で、これ以上差別を受けないように努力する"と話した。実際、小鹿島(ソロクト)は、最近、連陸橋が臨時開通し、またハンセン人の高齢化により重度障害者が増えるなど環境が急変しており、過去と違った機能が要求されている。パク院長は、"来年に連陸橋が完全開通すれば予期できないことが起き、地域住民との葛藤も予想される"として、"ハンセン人がより良い人生を送り、病院も発展することができるように全てのものを捧げる"、と覚悟を明らかにした。パク院長は、全南(チョンナム)大医大を卒業し、予防医学専門の資格を取得した。1995年から12年の間、光州(クァンジュ)東区(トング)保健所長をしていた。 自治行政革新全国大会保健福祉部門最優秀賞,地域社会中心リハビリ事業最優秀機関表彰などを受賞。韓国保健学会理事としても活躍した。パク院長は、"小鹿島(ソロクト)を選んだことは、医師として当然するべきこと"、としながら、"ハンセン人に合う最適の医療サービスを提供する"と繰り返し強調した。小鹿島(ソロクト)には、70才以上高齢のハンセン人642人が長期治療中であり、医療スタッフ100人余りを含んで,1,000人余りが生活している。
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韓国の小鹿島(ソロクト)に小鹿大橋が開通した記事が、9月26日の韓国の京郷新聞に掲載されています。おおむね、以下のような内容のようです。また、ソロクトを訪れたくなりました。連陸橋が臨時開通した小鹿島(ソロクド)の秋夕(旧盆)“悲しい島が笑いを見いだした”小鹿大橋臨時開通最後の日の26日午後7時40分全南(チョンナム),高興郡(コフングン),小鹿島(ソロクド)第2案内所の前. 少し曲がっている腰に身体の動作がぎこちない趙ハラボジ(74)が二人の息子家族から別れのあいさつを受けていた。 長男(45)夫婦と大学生2学年の孫,下の息子(42)等4人は、ハラボジの手をかわるがわるさわりながら,足を踏み出すことができなかった。“正月にまたきますね。”ハラボジの顔に笑いが広がった。 ハラボジは200m余り離れた小鹿大橋に抜け出る息子の乗用車に向かって手を振った。 ハラボジは、30代初めにハンセン病にかかって、小鹿島(ソロクド)にきて40年が過ぎた。小鹿大橋が開通し‘疎外の代名詞’として通じていた小鹿島(ソロクド)に笑いがあふれ出ている。 この間、小鹿島(ソロクド)住民たちの陸地への外出は船便しかなかった。 それも午後6時30分になれば終わりだった。 しかし小鹿島(ソロクド)と道陽邑(トヤンウプ)をつなぐ1160m連陸橋が正式開通する来年6月からは昼夜なしで行き来することができるようになる。秋夕(旧盆)を控えて、去る22日から5日間小鹿大橋が臨時開通した。 だからだろうか、今回の秋夕(旧盆)時は、陸地の人々が一度に集まった。 外出客らも混ざったが、今年は血縁を訪ねてきた家族らがぐんぐん増えた。道陽邑(トヤンウプ)事務所パク・ジョンミ氏(42)は“橋(脚)連結は、一生を一人で過ごされる方々に大きい慰労になるだろう”と期待した。臨時開通最後の時間の午後8時には、6つの村から一緒に出てきた家族らが、橋(脚)入口で別れの挨拶を交わし大変な混雑となった。小鹿島(ソロクド)自治会長キム・ジョンヘン氏(68)は“、この間、陸地と5分の距離の小鹿島(ソロクド)が外側の人々には千里もあるように受けとられてきたのが事実”としながら、“橋(脚)がかかり、‘放置した血縁’を探してみようとする心がよみがえったのではないかと思う”と話した。小鹿島(ソロクド)中央教会イ・チョンジュ氏(70)も、“最近、陸から家族らの安否を尋ねる電話が突然増えた”として、“小鹿島(ソロクド)住民たちがいまや人として接待を受けるようで気分が良い”と話した。観光客らは、小鹿島(ソロクド)の秀麗な風景に感嘆の声を上げた。 小鹿島(ソロクド)は島全体が緑色公園で作られた。 島の名前を象徴するように、鹿400頭余りが森の中を戯れている。 またきれいな砂浜の海水浴場があちこちに位置している。 このために外部の人らの訪問が多くなり、環境が破壊され、大小の犯罪発生を憂慮する声も出てくる。小鹿島(ソロクド)の里長キム・ヨングァン氏(70)は、“100年近く断絶した状況で生きてきた患者らの生活パターンがこわれるかも知れない”、“特に鹿を狙う密猟者が集まらないだろうか心配”と話した。小鹿島(ソロクド)は面積4.42平方km、海岸線の長さ14kmの小さい島だ。 1910年外国宣教師たちがここにハンセン病患者を受け入れ、以後日帝が‘小鹿島(ソロクド)慈恵病院’を開院した。 慈恵病院は82年国立小鹿島(ソロクド)病院に変わった。 現在ソロクドには、ハンセン病回復者644人と医療スタッフなど、900人余りがいる。<小鹿島(ソロクド)|ペ・ミョンジェ記者>
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先日、お知らせしました台湾の楽生療養院の一部立退き問題については、2007年9月12日未明より、数百名の機動隊と警官隊が楽生療養院の旧建物地帯に導入され、工事を阻止しようとする入所者の皆さんや支援者である学生の強制的な排除に着手しました。学生たちはその日のうちに釈放されたそうです。
http://www.wretch.cc/blog/happylosheng(9月12日の様子)
韓国ソロクト・楽生院補償請求弁護団は、 以下の声明を台湾の関係当局に送ることにしました。
「楽生療養院における工事強行に対する声明」
私たちは、日本が敗戦前に植民地において行った誤ったハンセン病隔離政策により今も根深い差別偏見に苦しんでいるハンセン病回復者の皆さんの真の被害回復のために活動している弁護団です。植民地時代に日本政府によって台湾楽生院に収容された皆さんの日本に対する補償請求訴訟の代理人としての活動を通じて、現在の楽生療養院における地下鉄敷設問題、入所者の皆さんがその意思にかかわらず新施設への転居を迫られている事実を知り、これまでも何度か台湾の行政府や台北県、台北市、新荘市に対して、入所者の皆さんの意思を尊重していただきたいと意見表明して来ました。
入所者の皆さんは、日本時代、そして日本の支配が終了した後も台湾政府によって継続された誤った隔離政策のために、ふるさとや家族とのつながりを絶たれ、未だに社会に深く根を下ろしているハンセン病に対する差別・偏見に苦しめられ、収容された療養所にとどまることを余儀なくされています。今も旧建物にとどまり、新施設への転居を拒んでいる皆さんは、自分が自分らしく生活を営むためには長年親しみ終の棲家と心に決めていた今の建物に暮らし続けることが大切なのだと訴えておられます。
私たちは、2007年9月12日未明より、数百名の機動隊と警官隊が楽生療養院の旧建物地帯に導入され、工事を阻止しようとする入所者の皆さんや支援者である学生の強制的な排除に着手したことを聞き知りました。今回の工事開始については、事前に入所者に対する説明はなく、いきなりプレスリリースの報道によって知らされたと聞いています。基本的人権としての居住や移転の自由は誰においても尊重されるべきであり、正当な根拠や手続きを経ずして、その意思に反して侵害することは許されません。とりわけ、社会的弱者であり国家政策の被害者でもある入所者の皆さんの基本的人権は、何をおいてもまず尊重されるべきです。
今回、工事開始の影響を直接に被る入所者の皆さんに、事前に十分な説明や話し合いの機会なく、突然に工事が強行されようとしていること、それが警察や機動隊という国家的有形力の手を借りてなされようとしていることを、私たちは心より遺憾に思います。
台湾政府、台北県、台北市、新荘市など、関係局におかれましては、入所者の皆さんが誤った国家政策の被害者であり、行政は本来その被害を回復させるべき義務を負うものであるとの見識に立って、入所者の皆さんの基本的人権に根ざした配慮をされることを願います。
小鹿島更生園・台湾楽生院補償法請求弁護団