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ハンセンボランティア「ゆいの会」

岡山県瀬戸内市邑久町にある国立ハンセン病療養所長島愛生園 ・邑久光明園でボランティア活動をしています。 本ブログでは,当会の活動のほか,ハンセン病問題に関する 最新の情報も随時掲載しています。           

「十坪住宅」の修復保存運動を始動


ハンセンボランティア「ゆいの会」では、長島愛生園に残る「十坪住宅」の修復保存運動を今年の秋頃を目途に始動する計画を立てています。

本日の山陽新聞朝刊に、「十坪住宅」を修復保存運動に向けての「ゆいの会」の考え方などが紹介されています。
また本日の毎日新聞にも、紹介されています。ぜひ、ご覧下さい。

ここでも少しだけ「十坪(とつぼ)住宅」について紹介します。

「十坪住宅」は、後に長島愛生園初代園長となる光田健輔医師(1876年1月12日ー1964年5月14日)が、 1923(大正12)年に第3回国際らい学会に出席した際、フィリピン・クリオン島のクリオン療養所(1906年開設、その後の隔離法廃止を経て、現在は クリオン区となり、回復者や医療関係者やその子孫ら、約2万人が暮らしている)に立ち寄り、島の斜面に建てられていたニッパ葺きの小屋を見て、ヒントを得 たと言われています。

わが国初の国立ハンセン病療養所である長島愛生園は、1931(昭和6)年から患者の収容を開始し、国の「無癩県運動」に呼応する形で、設立当初から、定員を超えハンセン病患者の収容を推進しましたが、それを可能にしたのが「十坪住宅建設運動」でした。
個人や民間の団体から寄付を募り、患者作業で建設し、建設後は国に寄付するという形で進められました。1932(昭和7)年に、第1号の「十坪住宅」が長島に建設され、その後、149棟が、主に島の斜面に建設されました。

当時,長島愛生園慰安会(代表光田健輔)が作った小冊子「十坪住宅」では,この寄付を愛国献金と謳い,十坪住宅建設運動は患者の強制隔離のための世論喚起のために利用されました。

そして、定員を遙かに超えて患者が全国から収容されましたが、国から支給される予算は定員分しかなく、「十坪住宅」の建設は、入所者の生活や医療等の急激な悪化を招きました。しかし、十坪住宅建設に協力した市民らにとっては、そのような過酷な実態は知らされないままでした。

「ゆいの会」では、こうした「十坪住宅建設運動」の歴史的意味や私たち市民が果たした役割を改めて見つめ直し、愛生園に僅かに残る「十坪住宅」を、重要な歴史遺産として修復保存したいと考えています。

 先頃、厚生労働省は、国立ハンセン病療養所13園に残る歴史的建物のうち、緊急に補修が必要なものとして6つを選定し、3年間かけて毎年2つづつ補修することを発表しました。但し最終的な保存工事ではなく,あくまで緊急補修という位置づけです。しかも、各療養所の入所者らが保存を要望している歴史的建物等のごくごく一部にしか過ぎません。その選定の基準も明確ではありません。なぜ、6つ以外の歴史的建物が、補修から外れたのか? 
   歴史的にみて重要な意義を持ち、緊急に補修が必要な「十坪住宅」が、なぜ補修リストから外れたのかも分かりません。邑久光明園にも、自治会が修復保存を要請している「少年舎」などの歴史的に重要な建物がありますが、これらも補修リストからは外れました。

 ゆいの会としては、手始めとして「十坪住宅」を取り上げ、この修復保存運動を県民運動として広げていくことで、ハンセン病療養所を、わが国のハンセン病政策の誤った歴史やその中で生き抜いてきた人々の姿を伝える歴史遺産として保存しようという運動や世界遺産登録運動にもつなげていきたいと考えています。

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