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一般社団法人ハンセンボランティアゆいの会

ハンセンボランティア「ゆいの会」は、一般社団法人ハンセンボランティアゆいの会となりました。 岡山県瀬戸内市邑久町にある国立ハンセン病療養所長島愛生園 ・邑久光明園でボランティア活動をしています。 本ブログでは,当会の活動のほか,ハンセン病問題に関する 最新の情報も随時掲載しています。           

小鹿島(ソロクト)訪問
2月14日(土) 韓国の小鹿島(ソロクト)で、ソロクト訴訟報告大会があり、出席しました。
これまでは、ノクトンからソロクトへ船で渡っていましたが、今回は初めて、正式開通したばかりのソロクト大橋をわたってソロクトに上陸しました。

日本・韓国・台湾の弁護士等が久しぶりに顔を合わせました。

報告大会前に、3国の弁護団で、万霊堂を参拝。午後1時より、公会堂で報告大会。メインのシンポジウムでは、①韓国弁護団のパク・ヨンリプ弁護士からソロクト補償請求訴訟の経過報告、②チョ・ヨンソン弁護士から韓国ハンセン被害者法について、謝罪・名誉回復規定がないこと、補償がないこと等の問題点を指摘する報告。③徳田弁護士から日本での訴訟経過に関する報告、④蘇恵卿氏から台湾の状況報告が行われた。

シンポジウムの最後に、3弁護団で、交互にチョ・ヨンソン弁護士の起案による3国共同決議文を読み上げ、全会一致で採択。


報告大会のあと、引き続きソロクト訴訟解決の祝賀会も開催され、韓国各地の定着村からも多くの方々が参加しました。

 

2002年3月、徳田靖之弁護士と国宗直子弁護士が初めてソロクトを訪問し、その後2003年に、ソロクトでハンセン病補償法による補償請求の可能性を説き、ソロクトから最初の28名が、日本政府に補償請求したのは、その年の12月でした。

2005年10月25日、台湾訴訟勝訴、ソロクト訴訟敗訴という思いもよらない結果となり、当時のソロクトの原告の方々の落胆ぶりは、いまも忘れることはできません。
5年以上の月日を経て、ようやく、このたびソロクトからの補償請求者全員に補償が認められました。

しかし、ソロクトからの補償請求者124名のうち65名の方が亡くなりました。もっと早い取り組みができていれば・・という思いは、ソロクト訴訟弁護団の共通の思いです。

この間、韓国弁護団の並々ならぬ努力により、韓国内に89箇所あるといわれている定着村からも次々に補償請求がなされ、現在までに324名の方々が補償請求を行いました。

この定着村からの補償請求者のうち現在未認定者は22名となりました。さらに定着村から17名が補償請求の準備中です。

重い後遺症を抱え、さらに体調をくずし、一人での生活が不可能なため病棟に入っておられる方も多く、ソロクト訴訟報告大会に参加できるソロクトの原告はそれほど多くないと聞き、また実際参加できた原告は少なかったため、弁護団は、14日から15日午前中にソロクトを発つまでの間、時間のあいまをぬって、原告の方々の居室や病室を訪問し、久しぶりに話しをしました。

 

私が、聴き取りを担当した方も病棟に入っておられましたが、よく覚えてくれており、感激しました。

韓国の報道関係者も詰めかけておりました。

翌15日午前中には、ソロクトの方々と名残りを惜しみながら、再会を約束してソロクトをあとにしました。






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