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原爆症認定岡山訴訟の控訴審が結審しました

11月13日,広島高裁岡山支部で,原爆症認定岡山訴訟(川中訴訟)が結審しました。

この日は,杉山雄一弁護士,奥津晋弁護士,藤原精吾弁護士の3名の意見陳述につづいて,川中さんが,最後の意見陳述を行いました。

「2010年の6月に控訴して以来、2年と4ヵ月が経過しました。
思い起こせば、2010年6月16日の判決が下される日、“当然の勝訴”を確信しておりました。しかし被爆者援護法の精神である「被爆者の心に寄り添った」判決にはならなかったどころか、2003年に集団訴訟へ踏み切った以前の基準に逆戻りした判決でした。判決文に目を通しながら、心が寒々としてきたのを覚えた日でもありました。長い年月をかけて命をも犠牲にして闘い続けてこられた多くの被爆者の気持ちを踏みにじられた思いがしました。原爆が、人間の尊い命を、心を、暮らしを、いかにむごい、そして悲惨な、どんな言葉をもっても表現することのできない状態にしていることを理解してもらえなかったのです。私達被爆者の心からの叫び、命がけの訴えに耳を傾けてもらえなかったのです。

 その後、多くの知人や被爆者の方々から電話や手紙があり、判決に対する怒りの声、励ましの声が届きました。私の周りの被爆者だけでなく、全国の被爆者、あの日、あの地獄の中から、やっとの思いで助かった人たちが、再びあの日の地獄に引き戻された気持ちにさせられたのです。私のなかで、「これで終わってはいけない」という気持ちが次第に強くなり、被爆者の心からの声をもっと伝えたい、それと同時に、私は絶対に被曝しているのだ、という思いを強く訴えたいと、控訴にふみきりました。

いよいよはじまった、第一回目の控訴審。しかしながら、公判の3日前におきた東日本大震災、そしてその後の福島第一原発事故。それは67年前の「ヒロシマ・ナガサキ」が重なり合った瞬間でもありました。その日以来、私は「福島の人たちは、適切な処置をしてもらえているのだろうか」という思いに駆られ、健康を害して寝込んでしまいました。私たち被爆者は、適切な処置をしてもらえず、正しいことが正しく伝えられていませんでした。そのことが繰り返されてはいないだろうか、色々な思いの中で、一層体調が悪くなり、とうとう入院する結果になりました。福島の人たちへの思いを力に控訴審を闘ってきましたが、二度にわたる証人申請を「必要なし」とされ、公正な審理となっていないことに対しての忌避申し立て文書も、拒否されてしまいました。証人を採用していただけなかったことが、もっとも心残りとなっています。
 
67年前のあの日、尊い命を一瞬にして奪った恐ろしい「原爆」。あのきのこ雲の下で何が起こったのかを、わたしたち生き残っている被爆者は、世の中の人々に伝えていかなくてはなりません。そのために生かされているのだとも思っています。そのような思いで裁判に臨んできたのです。まさに「命がけの闘い」と言っても過言ではありません。
あの日から67年、まだ苦しみは続いています。被爆者がなぜ、こんなにも苦しみながら生きなければならないのか。どうぞ、被爆者の苦しみを理解した上での判決を、よろしくお願いします。」



岡山訴訟の経過は,以下のとおりです。
『原爆症認定集団訴訟 たたかいの記録(第1巻 報告集)』(日本評論社)http://www.nippyo.co.jp/book/5674.html   の403頁~405頁にも,岡山訴訟の経過を紹介しています。

2006年11月2日,岡山地裁に提訴
2010年6月16日,判決(敗訴)
2010年6月23日,広島高裁岡山支部に控訴
2012年11月13日,控訴審結審

控訴審判決は,広島高裁岡山支部(片野悟好裁判長)において,来年(2013年)3月21日(木)午前11時と決定しました。



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