忍者ブログ

ハンセンボランティア「ゆいの会」

Home > ブログ > 書籍・映画 > 加藤周一「夕陽妄語Ⅷ」から

加藤周一「夕陽妄語Ⅷ」から

先日購入した、加藤周一氏の「夕陽妄語Ⅷ」(2007年5月30日刊 朝日新聞社)に、『在日コリアン詩選集』読後という文章がある。

このなかに、つぎのような、印象に残った一文がありましたので、紹介します。

「『在日コリアン詩選集1916年ー2004年』(森田進・佐川亜紀編、土曜美術出版販売、2005年)を読んだ。そこには、おそらく世界中のどこでも重要であるだろう問題(あるいは主題)が扱われている。
   
例えば失われた「ふるさと」の歌。1922年韓国生まれ、20歳で日本に来て、45年ハンセン病療養所に入った香山末子(かやま すえこ)は、その後一度も韓国へ行ったことがなく、その国の「唐辛子のある風景」を思い出す。
 
 私の古里はわら屋根ばかり
 秋になると わら屋根に
 真赤な唐辛子が干される
 どの家の屋根も
 秋空のもとに唐辛子が映えて
(「唐辛子のある風景から」から)

その「真赤な景色」が鮮明なのは、それを二度と見ることができず、それが「今どうなっているだろうか」さえわからないからである。
・・・・・・・・・・・・・
 『在日コリアン詩選集』の、詩人たちの歌の内容は、彼らが生きた経験と分かち難く、その経験は固有の環境と歴史によって鋭く条件づけられている。しかし、この条件の特殊性は、詩的表現の限界ではない。むしろ、逆に、環境と歴史の、したがって経験の個別的一回性は、その表現がそこに執(しっ)すれば執するほど、深く徹すれば徹するほど、普遍的なものとなり、世界に向かって開かれる。ーこの逆説こそは詩的創造力を定義するのではなかろうか。
 私は世界一周の旅から帰って『在日コリアン詩選集』を読んだ。そして、秋の空の下の唐辛子の屋根を思い浮かべ、夜中に耳をすまして体中のふるえるような歌声を聞くのは、決して在日コリアンの詩人ばかりでなく、想像力のある世界中のすべての読者であるだろうことを思った。」

拍手[0回]

PR

0 Comment

Comment Form

  • お名前name
  • タイトルtitle
  • メールアドレスmail address
  • URLurl
  • コメントcomment
  • パスワードpassword

PAGE TOP