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ハンセンボランティア「ゆいの会」

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愛生歴史館の運営ボランティア

8月4日(土)、愛生歴史館の運営ボランティアの担当で、歴史館に午後0時から行ってきました。昨日の予約は、地元小学校の先生方と大阪からの親子づれの二グループ。
歴史館と園内の歴史的史跡等を約2時間掛けて案内。こうした来訪者との、ハンセン病問題を通じての交流もボランティアの大きな楽しみです。

いま、愛生園の収容所(のちに回春寮と呼ばれる)を改修中です。すべての窓枠を改修することになっています。収容所は、愛生園開園当時からある貴重な歴史的建物です。

「ハンセン病資料館等施設整備懇談会」に提出したハンセン病資料館基本計画策定委員会(藤岡洋保(東京大学大学院理工学研究所教授・近代建築史)作成の「建造物調査報告書」(平成16年5月)においても、以下のとおり報告がなされています。

「回春寮(鉄筋コンクリート造平家、昭和5(1930)年)は、かなり傷んでいるが、当時の建物の雰囲気をよく残している。それは外観デザインや仕上げ、サッシュだけでなく、内部のデザインや漆喰仕上げを含め、ディテールにまで見られる。木製サッシュも当時のものと思われる。以上の点に建築史的価値が認められ、補修して保存する意義がある」。

「語り部覚え書」(阿部はじめ著)のなかの「収容所」という文章には、つぎのように書かれています。

「片上港から小さな無蓋の官船で約1時間海上を走って収容所の海岸に着いた。渡し板がかけられ、しわしわとしわる足許に気をとられながら看護婦に手を引かれ、やっと砂におり立った。一二月末の海は冷たく、しぶきを浴びて体は冷え切っていた。休む間もなく坂道を上がり医局に着いて濁った消毒風呂に入り、縞の着物に着替えさせられた。目の前で所持品が調べられ、現金は「預り」とされ、衣類は消毒場に回された。持って来た貯金箱の竹筒が割られ硬貨が散らばるのが目に焼き付いた。
収容所は約10台のベッドがあり、はじめてのベッド経験は心地よさをよけい大きくした。集団収容の時はベッドを仕舞ってゴザを敷いて寝るとのことだった。新患は一週間ここにいて、病歴や余病の有無などを調べられる。
一週間後、年齢、症状に応じて下がる舎が決められる。その日が来ると舎から何人かの者が迎えに来て、それぞれ荷物を持ち、列をつくって舎に向かう。私は一五歳未満なので山二つ越えた少年舎からおとっちゃんといわれる人が子供たちをひきつれに迎えに来た。

・・・・

アメリカ、カービル療養所の入口には、“この門より入る者、すべての望みを捨てよ”と書いてあるらしいが、この建物の入口に掛かっている「収容所」の筆太の字はこの施設の有様を端的に示しているともいえた。
後、誰の発案によるものか「収容所」の表札は「回春寮」と書きかえられた」


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