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ハンセンボランティア「ゆいの会」

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ハンセンボランティア養成講座が始まりました

ハンセンボランティア「ゆいの会」のハンセンボランティア養成講座が、昨日から始まりました。

ゆいの会のボランティア養成講座も第14回(1年目は2回開催、2年目からは毎年1回開催)となりました。今年は、地元瀬戸内市で開催していますが、残念ながら地元からの参加者はなし。
しかし岡山市、倉敷市などのほか県外からの参加者もあり、15名の参加となりました。

一日目は、邑久光明園の新園長青木美憲先生から、「ハンセン病とは何か」をテーマに丁寧にわかりやすい講義をしていただき、後半は、私が「ハンセン病問題と人権、その歴史の継承」と題して、人権問題としてのハンセン病問題という観点から講義をしました。

当会の養成講座の受講者のほとんどは、これまでこの問題についてはほとんど知らなかった方であり、ハンセン病問題について、少人数でしかも総合的に学べるという意味では貴重な機会となっていると自負しています。

次回、6月14日(日)は、前半に、関西福祉大学社会福祉学部の萬代由希子先生から、「ボランティアを始める前に」をテーマに、ボランティアに必要な「ボランティア学」について学び、後半は、ゆいの会が現在長島愛生園と邑久光明園で行っている、さまざまなボランティア活動の実践報告を行います。












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第14回ハンセンボランティア養成講座開催のご案内

新聞,テレビ等でもすでに紹介をしていただきましたが,ハンセンボランティア「ゆいの会」は,今年も,来月(6月)から,国立療養所長島愛生園および邑久光明園でのボランティアを養成する,ボランティア養成講座を開催します。

今回は,瀬戸内市と邑久光明園が会場になります。

現在,受講生を募集しています。

講座の詳細および申し込み方法は,以下のチラシをご覧ください。

第14回ハンセンボランティア養成講座チラシ








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山陽新聞「語り継ぐハンセン病」第2部、はじまる。


本日から、山陽新聞で,ハンセン病問題の連載企画【語り継ぐハンセン病 瀬戸内3園から】第2部が始まりました。

第1部は、
ハンセン病問題から何を学び,何を将来に語り継いでいくべきかという視点から,10回の連載でした。関係者から取材により、改めて証言の掘り起こしを行っています。

今回の第2部は、
プロミン登場から昭和28年のらい予防法闘争までで7本の予定です。













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平成27年度「ゆいの会」総会を開催します。

4月11日(土)午前10時~12時,「ゆいの会」の平成27年度総会・懇親会を,国立療養所邑久光明園本館2階大会議室で,開催します。

昨年度の活動報告,決算報告,今年度の活動方針,予算などを決めます。

研修は,「世界遺産登録運動の現状・目指すところ,課題」について,両園園長,両自治会長からお話を聞き、討議をしたいと思っています。

その後,園内でお花見の予定です。会員の方は,当日参加も可能です。ぜひ時間のある方は,おいでください。






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鳥取地裁ハンセン病非入所者遺族訴訟の判決日

鳥取地裁に係属しているハンセン病非入所者遺族訴訟(被告は国および鳥取県)の判決日が,2015年6月26日(金)午後1時10分と決まりました。








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ハンセンボランティア「ゆいの会」ニュース第31号を発行しました

ハンセンボランティア「ゆいの会」ニュース第31号(2015.3.23)を発行しました。
現在、離島隔離が行われた長島愛生園、邑久光明園、大島青松園の3園(入所者自治会、園)が中心になってハンセン病療養所を世界遺産に!という提案を、全国のハンセン病療養所に呼びかけています。

長島愛生園と邑久光明園で、ボランティア活動をしている当会も微力ではありますが、この問題について、地元でどのような取り組みができるか、市民の皆様と考えていきたいと思っています。

ハンセンボランティア「ゆいの会」ニュース第31号(2015.3.23)




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鳥取地裁・ハンセン病・非入所者遺族訴訟が結審しました。


2015年2月27日(金)16時50分から,鳥取地裁民事部合議係(
大島雅弘裁判長)で,ハンセン病・非入所者遺族訴訟の第26回口頭弁論が開かれ,双方が,最終準備書面を提出し,約5年に及んだ裁判は結審しました。

同裁判は,ハンセン病患者であった母親の遺族(子)が,ハンセン病強制隔離政策を推進してきた国および地方自治体に対し,国家賠償を請求している初めての訴訟です。

非入所者の遺族は,国がハンセン病補償法の対象とせず,その支援という点で
唯一取り残されてきた存在でした。

判決期日は追って指定となり,3月末までに,裁判所から双方代理人に,判決期日の指定の連絡が入ることになりました。






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「奄美の画家と少女」高倉健

日本映画界を代表する俳優であった故高倉健さんが書いた『南極のペンギン』(集英社)を読みました。とても優しさに溢れている本ですが,このなかに,「奄美の画家と少女」という話が収録されています。http://www.shueisha.co.jp/topic/penguin/

田中一村と,ハンセン病療養所で暮らす少女の交流を描いた小品ですが,とてもいい話です。

田中一村は,1977年(昭和52年)9月11日,奄美大島の僻村の粗末な家で,看取る家族もなくひっそりと69歳の生涯を閉じた日本画家です。幼い頃は神童といわれ,長じては天才画家と仰がれていましたが,生来の気性の激しさから画壇と相容れず孤立し、1958年、一村50歳のときに,一大決心のもと,それまで住んでいた千葉から、たった一人で奄美大島に渡ります。以来,極貧の生活と孤独に耐えながら、亜熱帯の動植物を描き続けた画家です。

私は,田中一村記念美術館(http://www.amamipark.com/isson/isson.html)で,田中一村の絵をみたとき,南国の動植物の織りなす幻想的な美しさに目を奪われました。

その時に購入した,「絵の中の魂 評伝・田中一村」で,一村が,医師小笠原登とも交流があったことを知りました。小笠原登医師は、光田健輔を頂点とする日本癩学会で厳しく糾弾されながらも,国策の名の下に強行された絶対隔離と断種に対して反対し、患者の人権を擁護しようとした医師でした。その小笠原登が、晩年の1957年国立療養所奄美和光園に赴任します。そして、その翌年,一村は,中央画壇の権威主義に嫌気がさし,奄美に移り住みます。一村は厚生省九州地方医務局次長の小笠原登への紹介状を携えており,奄美についた一村は,待ち構えていた小笠原登から歓待され,初対面でありながら,意気投合したといいます。
一村は,療養所の入所者とも親しくなり,入所者の頼みを受け,その家族の肖像画を描くこともあったそうです。冒頭の「奄美の画家と少女」は,そのような実話がモチーフとなっているようです。

田中一村の評伝として,「絵の中の魂評伝・田中一村」(湯原かの子著,集英社)、「アダンの画帖 田中一村伝」(中野惇夫著、南日本新聞社編)、「田中一村 豊穣の奄美」(大矢鞆音著 NHK出版)などがあります。




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山陽新聞でハンセン病問題の連載中です

今年に入って,山陽新聞で,ハンセン病問題から何を学び,何を将来に語り継いでいくべきかという視点から,ハンセン病問題の連載企画【語り継ぐハンセン病 瀬戸内3園から】がスタートしています。

現在,3回のプロローグ「引き裂かれた家族」(上・中・下)に続いて,当事者からの聞き取りを中心にして,第1部の連載が始まっています。第1部「隔離の島」は,戦前から戦後まもなくにかけて強力に進められた"隔離"の実態と、患者の苦難の人生を明らかにすることをテーマとしています。

第1部は、11回の記事が掲載されるとのことです。


予定では,5部構成で,全50回くらいの連載となるそうです 。

興味のある方は,ぜひご覧ください。









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あけましておめでとうございます。

2015年も、ハンセンボランティア「ゆいの会」をよろしくお願いします。

瀬戸内3園の入所者自治会等が中心となって、全国のハンセン病療養所に呼びかけている、療養所の世界遺産登録を目指す運動。全国的な運動に向けた合意ができていませんが、ハンセン病療養所を歴史遺産として残すための方策としては、極めて重要な問題提起であると思います。

ゆいの会は、ハンセン病療養所の世界遺産登録をめざすために、今、何ができるのか、何をすべきなのかについても、原点に立ち戻って考えていきたいと思っています。各地で議論を始めてみてはいかがですか。









           



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