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ハンセンボランティア「ゆいの会」

岡山県瀬戸内市邑久町にある国立ハンセン病療養所長島愛生園 ・邑久光明園でボランティア活動をしています。 本ブログでは,当会の活動のほか,ハンセン病問題に関する 最新の情報も随時掲載しています。           

「十坪住宅」修復保存の署名活動

ハンセンボランティア「ゆいの会」は、12月5日(日)12時~13時、JR岡山駅で、「十坪住宅」修復保存の署名活動を行いました。

「十坪住宅」は、戦前、国立療養所長島愛生園の光田健輔初代園長の発案で、「無らい県運動」の一環として定員を超えて患者を収容するため民間から寄付を募り、長島愛生園に、148棟が建設されました。

「十坪住宅」建設運動の概略は、次のようなものです。

    ハンセン病患者の絶対隔離に向けて、1930(昭和5)年11月に新設された国立療養所長島愛生園は、開園後4か月の1931年3月、収容患者数は定員の400名を超え、以後、定員超過の状態が続きました。こうした中で、より多くのハンセン病患者を隔離収容するために、光田健輔医師(後に長島愛生園の初代園長となる)が、1923年フランスのストラスブールで開催された「第3回国際らい学会」からの帰路の際に立ち寄ったフィリピンのクリオン療養所でみたニッパ椰子の葉を葺いた小屋から考案したのが、「十坪住宅」建設計画でした。
    これは広く国民から寄付金を募り、患者作業により1棟400円(1933年より500円に、1936年には600円に増額されている)の資材調達の予算で6畳2間の十坪住宅を建設し、建設後はこれを国庫に寄付する形で、定員を超過した入所者の住宅にあて、1棟に4~8人を収容しようとするものでした。
    十坪住宅建設運動は、「祖国を浄化せむが為」になされるものであり、「単に患者の保護だけでなく、健康なる一般国民の保護」の運動と位置付けられており、「在園患者にとっては、衣食住のすべてに亘る生活資料の割愛を忍ばねばならぬ結果となり、生活標準低下の招来を覚悟しなければならぬ。」(【愛生】9号「十坪住宅運動の生命と価値」事務官 四谷義之)と犠牲奉仕の精神が求められました。1934(昭和9)年8月末現在で3万1085円85銭の寄付金が集まり26棟を国庫に寄付し、1936(昭和11)年5月までには5万8266円49銭の寄付が集まり58棟を国庫に寄付しました。さらに同年8月のいわゆる「長島事件」後に急激に寄付金は増加し、1937(昭和12)年5月末現在までの寄付金は12万9469円63銭に達し、国庫に寄付した住宅は79棟となりました(財団法人長島愛生園慰安会【十坪住宅】第6版15頁~20頁「十坪住宅工事一覧表」より)。
 1932(昭和7)年から(第1号は1932年7月20日竣工の慈岡寮)から、1944(昭和19)年までに、合計149棟が建設されました。



長島愛生園に現存するものはそのうち僅か5棟となっています。「無らい県運動」の歴史を伝える貴重な建物ですが、4棟は傷みが激しく、このままでは近い将来朽廃してしまう危険性があるため、当会は、多くの地元の建築家、大工さんの協力を得て、「十坪住宅」の修復保存運動を始めています。ぜひご協力ください。署名用紙は、7月16日付けの本ブログをご覧下さい。


毎日新聞12月4日付朝刊「十坪住宅」保存求め ゆいの会 JR岡山駅で署名活動」
「十坪住宅」保存求め ゆいの会、JR岡山駅で署名活動 /岡山
http://mainichi.jp/articles/20161204/ddl/k33/040/313000c

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