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ハンセンボランティア「ゆいの会」

岡山県瀬戸内市邑久町にある国立ハンセン病療養所長島愛生園 ・邑久光明園でボランティア活動をしています。 本ブログでは,当会の活動のほか,ハンセン病問題に関する 最新の情報も随時掲載しています。           

第6回養成講座での質問

第6回ハンセンボランティア養成講座で、「プロミン」について、日本での導入がおくれた理由等について、質問がありましたので、簡単にお答えします。

1940年7月、カーヴィルの病院長となったガイ・H・ファジェット医師(Dr Guy H.Faget)が、デトロイトの製薬会社パーク=デーヴィス(Parke-Davis)が販売していたスルフォン剤である「プロミン」(商品名)を、1941年(昭和16年)から、ハンセン病患者の治療に用い、1943年(昭和18年)に、この病気に有効であることを発表しました。

その効果は“Miracle at Carville”とまで言われるものでした。

ファジェット医師の専門は結核であり、ハンセン病に関しては、二人の前任者ほど豊富な経験を持っていませんでしたが、結果的にはそのことが幸いしました。
彼は、結核の治療薬がハンセン病の治療に応用できるかもしれないと考えました。

   ところで、プロミンが作られる元の化合物は、1908年(明治41年)に、ドイツの化学者たちによって合成されていたジアミノジフェニルスルホン(一般にはDDSと呼ばれている)と呼ばれるものでした。

フランスの化学者たちもプロミンで実験していましたが、その抗菌性について試験を行ったのは、1937年になってからでした。

パーク=デーヴィスの医師らは、結核菌を植え付けたモルモットに、プロミンが効果があるかどうかの実験をしていましたが、結核患者には毒性が強すぎて使えませんでした。

そこで、パーク=デーヴィスは、ファジェット医師に、カーヴィルで、「プロミン」を実験する気があるのであれば、無償でよろこんで提供することを申し出たそうです。

ところで、ファジェット医師が、「プロミン」の有効性を発表したころは、日本と米国は戦争中であり、戦前、プロミンは日本に入ってきませんでした。

しかし、プロミンがらい菌に対して効力を持つという情報を中立国を通じて知った、 東京大学医学部薬学科石館守三教授は、ただちに研究に着手し、その同じ年に独力でほぼ同じ成分のスルフォン剤の合成に成功しました。

そして、1946年(昭和21年)4月、石館教授は国産プロミンの合成に成功しました。

一方、カーヴィルで発行されていた『スター』等で、「プロミン」のことを知った長島愛生園の光田健輔園長は、1946年(昭和21年)春、GHQのサムス公衆衛生局長に接触し、米国のファジェット博士のハンセン病に対する「プロミン」治療の論文を入手し、その年の秋には、東京大学医学部薬学科の石館守三教授が合成した日本製の「プロミン」を使って、その効果を追試しました。担当したのは、当時、愛生園で一番若い犀川一夫医師と横田篤三医師でした。

犀川医師らも、その有効性を確認し、その後、ハンセン病療養所入所者らのプロミン獲得運動などを経て、日本のハンセン病療養所で、プロミンがハンセン病の治療薬として使われるようになります。

愛生歴史館2階の資料室には、以下の関連書籍等があります。興味がある方はご覧ください。

The promin treatment of Leprosy -a progress report(Faget Guy Henry  et al ,Health Rep (Wash. ), v. 58, #48, p. 1729-41, 11 / 26 / 1943)

Miracle at Carville
Martin, Betty)

「Carville;Remembering Leprosy in America」(Marcia Gaudet and Jame(FWD))

「Don't Fence Me In」(Tony Gould)



 

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