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ハンセンボランティア「ゆいの会」

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国立療養所栗生楽泉園、ハンセン病資料館開設へ

群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園の「社会交流会館」をハンセン病資料館として開設する計画が進んでいるようです。
ハンセン病資料館としては、多磨全生園にある国立ハンセン病資料館、長島愛生園歴史館、菊池恵楓園にある資料館があり、資料館としては4つ目となります。現在、邑久光明園もかつての小中学校跡をハンセン病資料館としてオープンする計画が進められています。

しかし、国は、国立ハンセン病資料館以外には、正式の「ハンセン病資料館」としては認めず、これまで自治会等が、度々要求しているにもかかわらず、長島愛生園歴史館には一人の学芸員の予算も付けないままです。長島愛生園歴史館は、年間約1万人が訪れるハンセン病資料館であり、すぐれた人権教育の場としての役割を果たしています。

国は、ハンセン病問題基本法の趣旨に則り、国として求められる役割を果たす義務があります。長島愛生園歴史館についても、ハンセン病資料館としてのその重要な意義を認め、しかるべき予算措置をとるべきだと考えます。そのための市民運動を一層すすめていく必要性を感じます。


東京新聞2008年9月8日の記事

草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」に、回復者たちが中心となって差別の歴史を伝える資料館を開設することが明らかになった。既に建物は完工し、年内のオープンを目指して準備を進める。同園には戦時中に患者たちを強制収容した「重監房」が全国の療養所で唯一存在し、復元の可能性を検討中。関係者は資料館と復元の重監房を両輪として、人権の大切さを学ぶ場に育つように期待を込めている。 (菅原洋)

 建物は今年一月末に着工し、六月末に完工。木造平屋の床面積二百六十八平方メートルで、中は五室程度ある。厚生労働省が約五千六百六十万円で建設した。建物の正式名称は「社会交流会館」だが、利用法は回復者たちの自主性が尊重される。

 そこで持ち上がったのが、資料館として活用するアイデア。現在、同園には自治会の資料室があり、別の建物に過去に使われた品々を保管している。

 ただ、原則は一般公開しておらず、資料館の開設によって資料や品々をまとめて幅広い人々に無料で見学してもらうことにした。

 展示を見込むのは、同園の自治会が発刊した患者五十年史「風雪の紋」の基になった貴重な資料類。厳しい労働で使われた作業道具、かつての医薬品や写真、回復者たちによる歌集をはじめとした書籍類なども想定している。

 歴代の在園者名簿や納骨堂の名簿、外出証明書などもあり、個人情報に配慮した上で展示する考え方もある。

 同園の自治会事務室は火災に遭ったために戦前の資料が少ないが、ほかの療養所から戦前の貴重な日誌類などを取り寄せて展示する検討も進めている。

 重監房に関連したパネルなどを展示する案や、回復者が「語り部」となって職員の協力も得て見学者に展示解説する案も出ている。

 同園の自治会では、十年以上前から資料館の開設が念願。国家賠償訴訟全国原告団協議会長で、自治会副会長の谺(こだま)雄二さん(76)は「東京には国立のハンセン病資料館はあるが、そこに並ぶような、質の高いものを展示する資料館にしたい。回復者たちの手作りこそが意義深い」と意気込んでいる。

 <ハンセン病> 「らい菌」による感染症で、かつて「らい病」と呼ばれた。菌を発見したノルウェーの医師の名にちなむ。感染力は極めて弱く、日常生活では感染の心配はまったくなく、遺伝もしない。現在は新しい患者は極めて少なく、発病しても薬で完治し、療養所にいるのは大半が回復者。回復者から感染することもない。しかし、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで、強制隔離政策が約90年間も続いた。2001年に熊本地裁で隔離を違憲とし、国の責任を全面的に認める判決が出て、差別問題の解決に向けて機運が高まっている。

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