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「奄美の画家と少女」高倉健

日本映画界を代表する俳優であった故高倉健さんが書いた『南極のペンギン』(集英社)を読みました。とても優しさに溢れている本ですが,このなかに,「奄美の画家と少女」という話が収録されています。http://www.shueisha.co.jp/topic/penguin/

田中一村と,ハンセン病療養所で暮らす少女の交流を描いた小品ですが,とてもいい話です。

田中一村は,1977年(昭和52年)9月11日,奄美大島の僻村の粗末な家で,看取る家族もなくひっそりと69歳の生涯を閉じた日本画家です。幼い頃は神童といわれ,長じては天才画家と仰がれていましたが,生来の気性の激しさから画壇と相容れず孤立し、1958年、一村50歳のときに,一大決心のもと,それまで住んでいた千葉から、たった一人で奄美大島に渡ります。以来,極貧の生活と孤独に耐えながら、亜熱帯の動植物を描き続けた画家です。

私は,田中一村記念美術館(http://www.amamipark.com/isson/isson.html)で,田中一村の絵をみたとき,南国の動植物の織りなす幻想的な美しさに目を奪われました。

その時に購入した,「絵の中の魂 評伝・田中一村」で,一村が,医師小笠原登とも交流があったことを知りました。小笠原登医師は、光田健輔を頂点とする日本癩学会で厳しく糾弾されながらも,国策の名の下に強行された絶対隔離と断種に対して反対し、患者の人権を擁護しようとした医師でした。その小笠原登が、晩年の1957年国立療養所奄美和光園に赴任します。そして、その翌年,一村は,中央画壇の権威主義に嫌気がさし,奄美に移り住みます。一村は厚生省九州地方医務局次長の小笠原登への紹介状を携えており,奄美についた一村は,待ち構えていた小笠原登から歓待され,初対面でありながら,意気投合したといいます。
一村は,療養所の入所者とも親しくなり,入所者の頼みを受け,その家族の肖像画を描くこともあったそうです。冒頭の「奄美の画家と少女」は,そのような実話がモチーフとなっているようです。

田中一村の評伝として,「絵の中の魂評伝・田中一村」(湯原かの子著,集英社)、「アダンの画帖 田中一村伝」(中野惇夫著、南日本新聞社編)、「田中一村 豊穣の奄美」(大矢鞆音著 NHK出版)などがあります。




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