忍者ブログ

一般社団法人ハンセンボランティアゆいの会

ハンセンボランティア「ゆいの会」は、一般社団法人ハンセンボランティアゆいの会となりました。 岡山県瀬戸内市邑久町にある国立ハンセン病療養所長島愛生園 ・邑久光明園でボランティア活動をしています。 本ブログでは,当会の活動のほか,ハンセン病問題に関する 最新の情報も随時掲載しています。           

台湾楽生院取壊問題(続報)

5月12日~13日に草津で開催されたハンセン病市民学会の、2日目の分科会で、「台湾楽生院保留自救会」のメンバーが、台湾楽生院取り壊し問題の現状について報告しました。

その報告の概要です。この5月末から6月はじめ頃に、台湾政府は工事の計画変更について、結論を出すことになっているようですが、入所者らの希望が叶えられるか否かについては未知数であると、その見通しを報告しました。

楽生院の保存方案については↓
http://blog.roodo.com/hansentaiwan/archives/2961913.html

(報告概要)

「植民地時代の1930年に、「台湾総督府癩療養所楽生院」として開設された楽生院は、台湾唯一のハンセン病療養所であり、今なお300名ほどのハンセン病回復者が生活している。

戦後、国民政府も植民地時代の政策をそのまま引き継ぐ形で、集団収容等の政策を続け、台湾全島ばかりか中国大陸から渡来した将兵のハンセン病者を含め強制的に隔離した。こうした歴史的経過から台湾社会には、現在でもハンセン病に対する偏見・差別が根強い。

台湾では、1962年まで行政命令によって強制隔離が続けられたが、その後も隔離を主軸とする誤ったハンセン病政策が続けれ、今日に至っている。回復者の社会復帰に対する支援や社会的偏見を除去するための施策は一切なされないため、ハンセン病者・回復者の多くは、生まれ故郷に帰ることができず、多くの入所者らは、楽生院を「第二の故郷」として暮らし続けている。

しかし、台湾政府は、地下鉄建設工事のため、楽生院を取り壊し、全入所者を2005年に新しく建設された病院棟に移す計画を進めている。
300名あまりの入所者のうち、約半数が新病棟に移転したが、100名弱が療養所内旧地区にとどまって抵抗運動を組織しているほか、一時的に園外に生活の拠点を移して事態の推移を見守っている者もいる。

この問題は、地下鉄車庫・整備工場の建設用地として療養所の広大な敷地に白羽の矢が立てられたことに端を発している。
取り壊し計画が持ち上がった十数年前、入所者の間からは立ち退き反対の声が上ったが、政府・療養所当局は、彼らをここの「住民」とはみなさず、全く無視された。

2年前の一期工事の開始の際には、工事区域に住む入所者たちは、事前の通知もなく、着の身着のままで仮設住宅に強制移転させられた。

将来への不安が療養所内に広まるなか、学生ボランティアらによって「楽生院取り壊し反対」の運動が始まった。

台湾社会におけるハンセン病問題への認識不足もあり、当初は楽生院の文化財としての保存を訴えるという戦略が採られた。多くの専門家・知識人の賛同も得て、政府への陳情も行った結果、計画の一部変更を検討させることに成功した。

しかし政府は、計画変更に難色を示し続け、その間も地下鉄と新病棟の建設工事は進められた。

その後、入所者自身によって「楽生保留自救会」という抵抗組織が立ち上がり、居住権の保障を要求する闘いが始まり、支援者が常駐するようになった。

入所者のなかには、「ソロクト・楽生院保障請求訴訟」の原告もおり、自救会はこの訴訟を全面的にサポートする中で、日本の弁護団、支援団体との間の連帯の絆を築いてきた。

2005年の東京地裁の台湾原告勝利判決により、台湾のマスコミも報道するようになり、台湾社会のなかで、ハンセン病問題はにわかに注目を集めだし、これまでの運動の成果が徐々に実りだした。

2005年12月、立法院において、自救会の手によって起草された「台湾ハンセン病回復者人権保障法」の審議に着手した。

その後、楽生院の現状保存と地下鉄車庫の両立を可能とする「代替建設案」が、国の文化管轄省庁(文化建設委員会)の依頼により、英国の地下鉄建設コンサルタント会社によって作成され、2月に内閣に送られた。

しかし、内閣は適切な検討をすることなく、地方自治体に、取り壊しのゴーサインを出した。
2007年3月、政府は地下鉄工事を強行するための「強制退去の告示」を行った。

その後、与党の大統領候補者選びに出馬を表明している游民進党主席・前行政院長謝長廷氏が楽生院保存への支持を表明。陳水扁総統がこの問題に強い関心を示し、内閣に適切な処理を指示した。

こうした政府の態度軟化に、地方自治体、利権のからむ地元国会議員・地方議会議員らが強く反発し、「楽生院を取り壊せ」のデモを行った。新荘市長がデモの発起人となった。

このデモで地元で未だ根強かったハンセン病への差別が増長されることになり、入所者たちの心にも再び深い傷を残すことになった。

蘇貞昌首相は、4月11日、楽生院入所者代表・専門家・NGO・学生代表らと会見し、9日に行われた公共工程委員会主任委員によるヒアリングに基づき、専門家等の意見も聞き、90%保存案が技術的には大きな問題がないとの立場を理解し、その実現に最大限努力する旨を表明。

しかし、台北市捷運工程局・台北県政府は、なかなか積極的な対応を行わなかった。

また4月4日には、台湾国会で「ハンセン病回復者人権保障法案」の与野党協議が行われたが、法案に反対している地元新荘市選出議員が、この協議が行われている会議室に乱入し、会議を妨害し、協議を中止させるという暴挙に出た。

5月19日には、地元議員による取り壊し促進の二度目のデモが予定されており、予断を許さない状況にある。

現在、内閣によって工事の計画変更について協議が行われており、台湾政府は、5月末~6月はじめには、結論を発表する予定であるが、入所者の居住権を守りたいとの願いが叶えられるかどうかは未知数である。」










拍手[0回]

PR

コメント

コメントを書く