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平成23年度第8回のハンセンボランティア「ゆいの会」の運営委員会を開催しました。
日時:平成23年12月2日(金)午後7時~8時20分
場所:岡山合同法律事務所
出席者:近藤,金田,則武,呉,出井,八谷,田村,岩田,疋田,山本,森田
第1 各部局報告
1 広報 来年2月に,ニュースを発行予定。
2 財務 会計報告
3 ふれあいボランティア
11月24日,長島愛生園主催で,園長,看護部の幹部の方々と茶話会。
ボランティア8名が参加。
今年5月から,全国のハンセン病療養所で初めて取り組みを始めた,病棟でのふれあいボランティア活動についての実績報告と意見交換を行いました。
4 外出ボランティア
10月12日~14日,三重県への里帰りの付き添いをおこなう。
5 愛生園歴史館
11月で,来園者のピークは超えた。ボランティア養成講座10期生のあらたなボランティア参加で充実している。
6 11月6日の岡山弁護士会主催の,熊本判決10周年市民集会報告
7 忘年会
12月11日18時から21時
アークホテル
8 歴史館ボランティア座談会
12月11日16時から(アークホテルで)
歴史館ボランティアが,愛生園の将来構想をみすえて,歴史館ボランティアの在り方を議論する。
9 岡山県の社会復帰支援員事業の終了に伴う問題
支援員全体会議で,今後の方向性を協議している。
10 平成24年度「ゆいの会」の総会
日程等は,次回運営委員会で決定する。
11 次回運営委員会
日時:1時13日(金)午後7時 岡山合同法律事務所
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荒井英子さんの『弱さを絆に ハンセン病に学び,がんに生きる』を読み,多くの示唆をえるとともにとても感銘を受けました。
本書は,2011年11月20日に,教文館から刊行されました。
荒井英子さんは,2001年から,恵泉女学園大学人文学部(後,人間社会学部)専任講師を経て,准教授を歴任されましたが,2010年に逝去されました。享年57歳。
1999年に,岡山でハンセン病国賠訴訟に取り組みだした頃に,荒井さんの『ハンセン病とキリスト教』(岩波書店,1996年)を読み,とても感銘を受けたことを覚えています。
新著『弱さを絆に』には,2010年11月に急逝された荒井さんの遺稿集で,『ハンセン病とキリスト教』以降に公刊した9編の論文,卵巣がん発症前後5年間に公にした,エッセイ2編,チャペルアワー・礼拝メッセージ7編,講演2編が収録されています。
冒頭のエッセイの最後に書かれています。
「死」を悟ることは「生の充実」を悟ることでもあった。だから再発の兆候が現れたときも,「がんと共生」していくことに何の躊躇もなかった。と同時に,ハンセン病医学でもライ菌を撲滅するのではなく,ライ菌とともに生きていく方向をとっていれば,あのような非情な「病棄て」は不要であったものをと,改めて療養所の友たちの「人生被害」に思いを馳せた。
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11月18日鳥取県の米子市で開催された第65回中国地方弁護士大会に参加しました。
18日の大会では,午前中,シンポジウム「成年後見等の拠点づくりをめざしてー全ての高齢者・障害のある人が自分らしく生きるために」が開催され,現在,実際に発生している困難事案,複雑事案等に対して十分に機能していない成年後見制度の拠点づくりについて講演,シンポジウム等で意見交換がおこなわれました。
午後からは,さまざまな喫緊の課題に関して,連合会の宣言,決議などの審議が行われました。今年も,活発な議論が行われ,審議予定時間を1時間以上オーバー。
結局,1つの宣言と4つの決議が提案され,宣言と,3つの決議が採択されましたが,1件の決議については否決という結果になりました。
来年は,広島弁護士会の担当で,福山市と尾道市で開催されることが決定しました。
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大阪弁護士会が,会報の9月号に,ハンセン病を差別的表現である「らい病」と標記した広告を掲載したことは不適切だったとして,10月号で謝罪記事を掲載しました。
問題の広告は,大阪府や兵庫県の弁護士などが中心となった実行委員会が主催した大阪・神戸憲法ミュージカル2011「ドクター・サーブ」の広告で,「らい病治療のためアフガニスタンに赴いた」という表現を用いていました。
憲法ミュージカル「ドクター・サーブ」実行委員会は,当初,「らい病」をハンセン病と置き換えても偏見差別はなくならないとして,あえて,このことばを使用したと説明していたようです。
もちろん,言葉の置き換えで済む単純な問題ではありませんが,だからといって,当事者にとって非常に苦痛であり,長い経緯のなかで「ハンセン病」と呼ぶようになった事情を無視し,あえて差別用語を用いることが,当事者の人権を尊重し,個人の尊厳を守ることになるとは思えません。
その後,この広告の表現について指摘を受け,実行委員会は,この言葉をハンセン病と変えました。
このような広告での表現とは別に,実際に演じられたミュージカルの中での,アフガニスタンのハンセン病患者の人々の描き方も,人間の尊厳をもった人々というよりも,人以下の存在であり,崇高な使命感をもった医師による,救済の対象という印象を強く抱かせる描き方だったということでした。
私も,シナリオを読み,同じような印象を持ちました。その後指摘を受け,一部は修正がなされたとのことです。
大成功であったといわれるこのミュージカルですが,実際にこのミュージカルを観た人たちの中からも,基本的人権と個人の尊厳を守ることをテーマをした憲法ミュージカルにおいて,そうした描き方がなされたことについては疑問が出されていました。
今回の憲法ミュージカルに提起されたこうした声については,法曹の一人として,また一人の人間として,強く心に刻まなければならないと感じました。
読売新聞2011.11.15
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111115-OYO1T00721.htm -
11月13日(日)午後2時から,国立療養所菊地恵楓園で,菊地事件連続企画実行委員会の第1回目の会合があり,菊地恵楓園に出かけました。
実行委員会では,今後,来年から,「新あつい壁」の上映会,菊池事件についての講演会・シンポジウム・現地調査などを経て,9月の再審申立をめざすことを確認しました。
菊地事件は,1952年に熊本県菊地市で起きた殺人事件をいいます。この事件の背景には,戦後行われた「第2次無らい県運動」と菊地恵楓園の増床計画がありました。そうした背景のもとで,この事件の被告人は,ハンセン病という疑いをかけられ,再三にわたる菊地恵楓園への収容勧告を受けたひとりでした。
入所勧奨に関わった職員への「逆恨み」による犯行として,ハンセン病患者と報告された男性が殺人容疑で逮捕されます。そして,ハンセン病患者であるがゆえに,裁判所での通常の法廷ではなく,療養所内に設置された特別法廷で,事実上非公開で,裁判は行われました。熊本地裁は,1953年8月29日,死刑判決を言い渡します。
そして,1962年に死刑が執行されました。
来年は,死刑執行から50年目を迎えます。
ハンセン病に対する差別と偏見と司法が深く結びついていたとされる,この冤罪事件の真相究明が,改めて,今,強く求められています。
くまにちコム
http://kumanichi.com/news/local/main/20111114001.shtml
毎日新聞
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20111112ddp012040018000c.html
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熊本県にある,国立療養所菊池恵楓園が,ハンセン病療養所の地域開放を認めたハンセン病問題基本法施行後,同園が,地域開放の一つとして掲げていた保育所「かえでの森こども園」が,12月中旬には開所することになりました。
園内の旧看護学校の建物を改修して,保育所として活用することになり,11月2日に改修工事に着工し,12月中旬ころには完成予定だそうです。
0~6歳児対象
定員 36人
保育時間 月~土曜日午前7時~午後7時
障害のある子どもの受け入れや一時的な預かり保育もできるそうです。
毎日新聞2011.11.3
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20111103ddlk43040505000c.html