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今年(2020年)のハンセン病市民学会総会・交流集会の場所、日程が決まりました。
日時 2020年5月16日(土)・17日(日)に長野市で開催します。
例年通り、16日(土)は総会・交流集会、17日(日)は午前中が分科会、18日(月)はオプショナルツアーで国立療養所栗生楽泉園(群馬県吾妻郡草津町)のフィールドワークなどが計画されているようです。
大会への参加申し込み方法等は、
ハンセン病市民学会のHP https://shimin-g-hp.jimdo.com/で告知されると思いますので、それらをご覧下さい。
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ハンセンボランティア「ゆいの会」が、ここ数年来取り組んでいる、国立療養所長島愛生園に5棟残る「十坪住宅」の1つ「徳島路太利」の修復に向けて、来年から新たな動きが始まります。
これまでゆいの会で集めた寄付金で「徳島路太利」の修復工事を請け負ってもらえる建築会社が、あらたに決まりました。12月に、建築士の方には、ゆいの会の運営委員会にも同席していただき、修復に向けたプランについて意見交換をしました。年明けには、請負契約を締結し、3月頃から着工し、10月頃には完成のおおまかな予定も決まりました。
ようやく、ゆいの会が、ここ数年間、市民の皆さんのご支援を得て取り組んできたことが、一つの形になります。今後、進捗情報をこのブログ等でお知らせします。
(十坪住宅の沿革等)(『隔離の里程 長島愛生園入所者50周年史』、『曙の潮流 長島愛生園入園者自治会史』など)。
絶対隔離政策の遂行のため開設された国立療養所長島愛生園は、開設後4か月で、収容患者数は、定員400名を超え、以後、定員超過の状態が続いていました、このような状況の下、より多くのハンセン病患者を隔離収容するために、愛生園初代園長光田健輔が考案したのが、10坪住宅運動でした。光田園長は、大正12年に、フィリピンのクリオンハンセン病療養所を視察したとき、3,000人もの患者がニッパ葺きの小屋に住んでいるのを見、十坪住宅のヒントを得たと言われています
十坪住宅運動は、広く国民から寄付金を募り、患者作業により1棟400円(1933年より500円、1936年には600円となる)の資金の調達の予算で、6畳2間の十坪住宅を建設し、建設後はこれを国庫に寄付する形で、定員を超過した入所者の住宅にあて、1棟に6~8人を収容しようとするものでした。
愛生園がその当時発行した愛生パンフレット第三輯「十坪住宅」は、《愛国献金》として、次のように記述しています。
「十坪住宅1棟は、5百円で出来る。六畳敷二室と、台所、便所を備えた瀟洒な建物である。そこには六人乃至八人の病者が住めるから五百円あれば六人乃至八人の病者が暗黒より救われ、社会は六人乃至八人の癩者に依る伝染の危険から免れることゝなる。即ちこの運動は、単に患者の保護だけでなく、健康なる一般国民の保護である。愛国献金の名のつけられた所以である。」
このように、十坪住宅建設は、「祖国を浄化せむが為」になされるものであり、「単に患者の保護だけでなく、健康なる一般国民の保護」のための運動と位置付けられており、国からは予算は定員分しか出ないため、「在園患者にとっては、衣食住のすべてに亘る生活資料の割愛を偲ばねばならぬ結果となり、生活標準低下の招来を覚悟しなければならぬ」(四谷義之「十坪住宅運動の生命と価値」愛生9号(十坪住宅建設寄付金三萬円突破記念号)と犠牲奉仕の精神が求められました。
長島愛生園では、1934年8月末から十坪住宅建設運動を進め、定員を超えた過剰収容を推し進めていきましたが、国は寄付した建物に見合う経常費を要請どおりにつけなかったために、入所者の療養生活は困窮を極め、昭和11年には、入所者らが処遇の改善と自治を求めハンストに入るという「長島事件」が起こりました。
しかし、光田園長は、その後も絶対隔離政策を貫徹するため「十坪住宅」建設を諦めず、隔離収容を進めるための寄付金が集められました。その結果、1944年(昭和19年)末までに、149棟の十坪住宅が建設され、定員を大幅に超える過剰収容が行われました。
(徳島路太利)
「徳島路太利寮」は、長島愛生園の小川正子医師(「小島の春」(長崎出版)の著者)が、らい検診の途中、徳島ロータリークラブに招かれた際に寄せられた献金によって建てられた「十坪住宅」で、昭和11年7月の長島事件が起こった翌年に、大人5~6名を収容するために単身者用として建設された建物です。坪数は10坪。
厚労省の「歴史的建造物の保存等検討委員会」の十坪住宅に対する評価は、「資料などから、内部を含め当初の姿を確認できるならば、十坪住宅発祥の地という意味で、復元する意味が認められる」としています。
この点、ゆいの会では、「徳島路太利」は、当初の姿が比較的残されていること、当初の図面が残されていること、小川正子医師が、長島事件後も、さらに隔離収容を進めるために行ったらい検診の途中、徳島ロータリークラブに招かれた際に寄付された献金によって建設されたという経緯もあり隔離の歴史を象徴する建物であること、などの理由で修復対象としました。
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ハンセンボランティア「ゆいの会」のニュース第36号を発刊しました。
ゆいの会のさまざまなボランティア活動について紹介しています。ぜひ、ご覧ください。
会員の皆さんには郵送しました。
熊本地裁の家族訴訟判決以降、国の控訴断念、内閣総理大臣の謝罪、新補償法の制定、ハンセン病問題基本法の改正など、いろいろのことがありました。
国や地方自治体には、今なお社会内に残るハンセン病に対する偏見差別を解消するための、人権教育や啓発事業へのさらなる取り組みが求められています。
ゆいの会も、偏見差別の解消に向けて、どのような活動をすべきかを改めて見つめ直し、一層努力していきたいと考えています。
ニュース第36号
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第2回ハンセン病問題の全面解決に向けた研究集会が岡山で開催されます。
昨年の第1回に続き、岡山での開催です。
日時 2019年10月26日(土)午後1時~5時(午後0時30分開場)
第1部 13時~14時 グループ、PTに分かれての研究会
第2部 14時30分~17時 シンポジウム
◇テーマ ハンセン病療養所における人権擁護委員会の意義と役割
委員構成等について
◇基調報告
「人権擁護委員会の意義と役割、委員構成等について」
赤沼康弘(全国ハンセン病療養所協議会有識者会議委員)
「全国ハンセン病療養所人権擁護委員会の現状と課題」
森和男(全国ハンセン病療養所入所者協議会会長)
◇シンポジウム/シンポジスト
山本晋平(ハンセン病国賠訴訟東日本弁護団)
青木美憲(邑久光明園園長)
近藤 剛(邑久光明園・長島愛生園人権擁護委員会委員長)
遠藤隆久(菊池恵楓園人権擁護委員会委員)
◇コーディネーター
德田靖之(「ハンセン病市民学会共同代表/宮古南静園人権擁護委員会委員)
◇まとめの発言
内田博文(ハンセン病市民学会共同代表)
主催 ハンセン病市民学会
後援 岡山弁護士会
問い合わせ先 ハンセン病市民学会〒552-0001 大阪市港区波除4丁目1-37 HRCビル3階
電話 06-4394-7078 mail;shimin-g@tiara.ocn.ne.jp
本集会の案内チラシは、ウエブページ https://shimin-g-hp.jimdo.com/ に掲載しています。
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2019年7月17日(水)午後8時から8時57分に、RSK山陽放送で「差別・偏見との闘いを伝えて~ハンセン病 取材40年~」が放映されます。
TVにおける活動部門の最高峰「ギャラクシー賞」で今年大賞を受賞した、ハンセン病40年間の取材の歴史を振り返る。
2019年6月28日の熊本地裁でのハンセン病家族訴訟判決までを追っています。
http://www.rsk.co.jp/tv/message/
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本日(2019年7月11日)、岡山弁護士会から、「(2019.7.11)ハンセン病家族訴訟判決に関する会長声明」が発表されました。
2019年6月28日に熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)で言い渡されたハンセン病家族訴訟判決に対する会長声明です。
岡山弁護士会は、2001年に熊本判決を受けて、人権擁護委員会内に「ハンセン病被害者サポート」(通称ハンサポセンター)を設置して、ハンセン病問題に取り組んでいますが、なお取り組みが不十分であったとの自戒も込めながら、今回の会長声明を公表しました。
(2019.07.11)ハンセン病家族訴訟判決に関する会長声明 | 岡山弁護士会
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ハンセン病家族訴訟の判決が、2019年6月28日(金)午後2時に、熊本地裁で言い渡されます。これを受けて、岡山においても、支援の皆様やマスコミの皆様に判決内容を説明し、今後のハンセン病問題の全面的な解決に向けて運動を盛り上げたいと考え、上記訴訟に参加している岡山の弁護士が中心となり、判決報告集会を開催することにしました。原告の原田信子さんからの訴えがあります。
《ハンセン病家族訴訟判決報告集会》
日時:2019年(令和元年)6月30日(日)午後3時-4時30分
内容:弁護団による報告/岡山原告(原田信子さん)の訴え/意見交換
場所:岡山弁護士会館2階(岡山市北区南方1-8-29)
駐車場はありません。